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もしかして発達グレー研究所~凸凹ハートの幸せを考えるブログ by QOLT

なじめない、生きにくい。そんな子達の青い鳥ドコー?志村!後ろ後ろ!

【質問箱21-3】高IQ✕支援情緒級で後悔しないために【高知能ギフテッド、発達障害グレーゾーン】

引き続き、高IQと発達支援の因縁話です。

前回はこちら!
noudeka.com
↑bonbon先生にも共感いただき恐縮です!

福祉と高IQは相性最悪

「今支援が必要ならその環境は整えたい」
うんうん。わかる、わかるよ。
「でも、公立高校受験の進路が狭まるとかキャリアの選択肢が狭まるとかは気になっちゃう」
そうなのよ。うんうんうんうん。

ぶっちゃけ、ハイクラスなご家庭で育った高IQの方に
「支援や福祉の先の人生を納得させる」
これ想像より難儀よ。特に男子。

実家が太くて「当たり前の生活」が豊かって、色んな人から羨ましがられるけどね、奈落の底への転落感覚と隣合わせなのよ。

実家に見合った自分になれなかったら、生きてるだけでメンタル削られるのよ。*1


失われたときを求めて迷走

記憶が強く、現状に満足していない方は、満たされていた過去や、希望に満ちた過去を忘れられない状態に陥っていることが多いようです。

とうの昔に失われた
「優しい世界」
「満足している自分」を劇的大逆転で奪還する日を夢見ていたり、まわりの期待に応えるぞという幼い興奮と自己効用感をガラパゴス的に記録していたりすることもあります。


こんなはずでは、と哀愁を漂わせているぐらいならいいですが、ここに荒ぶる思考力とメタ認知が加わると
「どうしてこうなった。自分はダメなヤツだ。どこかでどうにかして巻き返さなきゃいけないのに…」
という焦りに陥ります。

身の丈に合わせ、地に足つけて着実に堅実にという発想になればなんたかんだなんとかなるのですが、現在の身の丈を見誤っていますので、一発逆転をと思ってしまうのです。

最早身の丈に合わなくなったエリート志向や玉の輿志向へ偏向します、なんなら、
「未来を良くするための唯一の手段」
としてギャンブルへのめり込みます。

もちろん、だいたいうまくいきません。そして他責が強まります(自責に行く人は、心の病気になります)。


絶望や破滅へ導かれるリスクからお子さんを守ってくれるのは、記憶力や思考力といった高知能そのものではありません。

大切なのは、知能によって蓄積した、ライフハックを含む知恵。
その知恵の使い方次第です。

しつこいけど、ASDみがありそうな子には、受け取り方の調節方法伝授、試みてほしいんだよねぇ。(バランスを欠くと逆効果なので、できればご相談ください。本人が自分で気付いてやり始めることもあるけど早いほうがいいです)


多動は生きる=試行錯誤みたいなとこあるしわりとお金が好きでなんだかんだ働くのでまぁいい*2

高IQでASD風味が入ると
「解なし」
となるやピタッとフリーズ。多動風味が入ってると熱暴走してとんでもない方向に突き進む。さもなくば過剰適応。
でも絶望しないでね!高知能ASD児は、持続可能で有益なシステムには確実に馴染んでくれます。持続可能な幸福感受性をゲットしやすい種族です。


心をつかむ方法を間違っていませんか

支援者は、お子さんと親御さんの心をつかむ必要性に常にさらされています。
「こいつ、やだ、無理、嫌い」
と思われたら支援難度が爆上がりしますからね。


常に知的に(または生物的に)飢えていた昔の子の扱いは、わりと簡単でした。

ですが、今は
「得意を伸ばす子育て」
「子供の気持ちを尊重する子育て」がスタンダード。ネットの普及、核家族化、少子化、手厚すぎる保育園もあり、子どもたちの生活は一変。

個々の知的好奇心や承認欲求を満たされすぎ、興味のないことに日常的に付き合わされる経験が不足しがちです。

「何かを教室で教える(知識欲を満たす)」
という方法でお子さんの心をつかむのは、過去で最も難しくなっているとも言われます。

そこで、知識欲を満たす以外に、子供の心をつかむ手段として取り沙汰されたのが
「ほめ」
でした。ほめれば幼い子は喜びます。ほめると子供が意欲的になるという現場の実感から脚光を浴び、ペアレントトレーニングはほとんど褒め方講座で満員御礼となってました。

今なお、ほめによる承認が広く利用されています。ほめ言葉があふれていると、いい環境とされています。


ほめること自体は、決してまずいことではありません。ほめることは重要な発達支援であり人心掌握手段のひとつです。

ですが、問題もあります。

・成長するにつれて、ほめる人、ほめ方などへのこだわりが生まれ、ほめられても不満がちになる
・支援者側もほめることに依存し、ほめ以外の関わり方の錬成が雑になる
・ほめへの渇望感に基づく踏ん張り経験が不足する(特に、きょうだいやライバルがいない場合)

成長するにつれて
ほめポイントへのこだわり「そんなことほめられても嬉しくない。かえって落ち込む/申し訳なくなる」
褒めてくれる人へのこだわり「あんたにほめられてもかえってムカつく」
ほめられる立場で自意識を固定してしまうと「ほめられるのは好きだが、人をうまくほめられない」
ほめられることを諦めると「無気力」
苦言から学べない「ほめてくれる人=好き、ほめてくれない人=嫌い、になる」
といった問題を抱えがちなのです。


ファンが多く有名な専門家ほど、子供はたくさんほめて自己肯定感を高めてあげましょう!とか言うし、高知能の子を持つ親御さんもなんとなくそっちに流されます。当然、末端の支援教員もその流れを踏襲します。

気持ちはわかるよ。スタンダードの流れのほうが喜ばれるんだもの…。

言いたくないけどねぇ、ファンが多い先生はね、大脳偏差値70超や感受性偏差値70超の子供を切り捨ててるんだよ。だからファンが多いんだよ…高知能発達障害は、マイノリティの中のマイノリティ。極端な話、割愛されてんだよ!!


高知能家系周辺には、そんなマイノリティの中のマイノリティ・高知能発達障害に関しての知見が蓄積されています。
私に言わせれば、とっくに人体実験を済ませてますよ。頭のいい子を授かったら、大衆ウケする教育法に依存していいのか自問自答して?不安ならおばちゃんに連絡して。*3

だめなところも認めてほめてくれる人しか気に入らないし、つながれない。なのに、ほめの精度とグレードにこだわって好意的に(割り切って)受け取ることができなくなっていく。

尊敬する人に褒められないと嬉しくない、尊敬する対象を吟味しすぎて満たされない。
深刻な承認不足になるのはこのパターン。ここを乗り越える気合いがあるでしょうか。


ちょっと脅してしまいすみません。

こだわりを適宜緩めて、必要に応じて柔軟性を発揮できるように仕向けるプロジェクトにいわゆる「いい環境」を役立てるのはいいと思います。



続きます。締めくくりです!
noudeka.com

*1:実家を嫌ってるなら、絶縁なりすればずっと続く幸福感得られるんだけど、理解ある親身な親を捨てるのは罪悪感があって、嫌いになりきれないんだよね。 それから、貧乏ライフハックを持ってるとか、ラブラブな相手がいるとかでないと、生活レベルが下がるときって幸福感も急激に下がるし。

*2:性衝動が強いといろいろ大変だから、トラウマ的記憶による衝動ブレーキは子供時代に取り付けておきたい

*3:歴史上の人物も親となったよね。で、乳母や教育係を雇う。彼らはお子様に嫌われたらクビ。だからお子様に忖度するし叱らない。で、結果は?ヤカラになったり芸術家肌になったり自殺したりするのは世の理だよ


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