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もしかして発達グレー研究所~凸凹ハートの幸せを考えるブログ by QOLT

なじめない、生きにくい。そんな子達の青い鳥ドコー?志村!後ろ後ろ!

体罰が療育だった時代

 

体罰はいつから絶対NGの風潮になったのでしたかね。

ついにと申しますか、2020年4月から、家庭での親による体罰も法律で禁じられることになります。

(ま、私に言わせれば、道路交通法における速度オーバーみたいな感じですが)

 

体罰は良いことか悪いことかと言えば恐らく悪いことなのでしょう、マクロで考えたらね。

 

でも、個々のケースでは、どうでしょう。

 

体罰による矯正が機能せず、心身のダメージとしてしか残らなかった体罰もあれば、機能した体罰も存在するはずなのです。

 

 **機能しない体罰、機能する体罰

 

体罰は機能する場合と、しない場合があります。短期中期長期、どの目線で語るかは極めて重要です。

機能したかどうかを短期的な目線で語ると、大きな齟齬が生じます。

 

機能した体罰とは、

「体罰のおかげで崖や落とし穴に落ちずに済んだ」

という類の感覚を、子供自身がのちに認識できるものを指します。

 

短期的な目線で見える落とし穴ならば、子供もまわりも納得がいくのです。

変な例えですみませんが、車が行き交う道路に飛び出しそうな子がいるとします。道路と平行にタックルかましたら、それは勇気ある保護です。ボディの衝撃は十分に虐待クラスなのに、です。

 

コミュニケーションにおける深刻な衝動性は、車の走る道路に飛び出すのとそんなに変わらないぐらい、社会的に致死的な悪癖だとおばちゃんは思っています。

 

一番大事に思ってくれている家族に対する悪態などについては、子供時代は

「まあまあ、子供だから許そう」

「いずれ成長するだろう」

と、先送りになりやすい問題があります。先送りにして改善しそうなケースもありますが、一番身近な人との関わり方を学び間違ってしまう例も多いと思います。

 

 

体罰によって矯正された軌道が間違っていて現在不幸であるというとき、体罰の記憶は心のダメージとして残ります。

 

向いてないのに、親が体罰を用いて無理矢理ライバルの多いコース(高学歴、高収入、人気の仕事など)に載せてしまうと、破綻するか、まわりを破綻させるかします。そこで子供は不幸を感じるわけです。

 

実際にあのとき殴ってもらって本当によかった、殴られなければ気付けなかった、と言う人は社会の頂点付近に、たくさん、たくさん、います。でもオフィシャルには口にできなくなってしまいました。

 

 

その中には大きく分けてふたつのタイプの体罰があります。

本当に機能した体罰と、子供側の達観によって赦されたり美化 正当化されたタイプの体罰です。

 

 

知人のASD風味ADHD風味の方の経験では、ぶん殴られて吹っ飛ばされた瞬間、歯車がぱちっとはまって頭のモヤモヤがスッと晴れるってことも、あるみたいでよく聞きます。

 

自分語りになりますが、体罰のある時代?家?親のもとに育ちました。

 

私自身文章のしつこさからおわかりかと思いますがASD風味で、きょうだいもハチャメチャだったので、よく親にもきょうだいにもぶっとばされてました。

 

メンタルが不安定だった頃は、恨みましたよ。憎みました。

 

でも、安定したら、確かに若い頃に徹底的に直してもらってよかった、ありがたかった、我が家にあった体罰は物凄く不器用だし危険だし明確に通報レベルだったけど、体罰なく自由な子育てを標榜していた同級生の家の子よりも予後が良かったな、と考えが変わってしまいました。

 

ふしぎなものです。

 

 

もちろん自分の育った環境を正当化したいという心理が働いているのはあるのでしょう。

 

が、親を憎めなかったら、周囲の人や社会や自分を憎むしかなかっただろうなと思います。

それは親を憎むよりもずいぶんしんどかっただろうと思います。

 

親が、殴ってくれたから、憎まれ役になってくれたから、 親以外の……自分含めた全世界を憎まずに済んだ、という心境です。

 

 

私個人について言えば、体罰なしに、優しく諭されていたならば、問題行動を修正出来なかったであろうことは確かです。

殴られたくないから、追い出されたくないから、ご飯がほしいから、

必死で悪癖を直しました。

 

悪癖が直ったら、ばーーーっと世界が広がりました。悪癖が直ったおかげで、 幸せに暮らせています。

 

今は、適度に親をリスペクトすることも出来ます。

 

 

ASD風味、ADHD風味の強かった親族たちも、それはまぁ盛大にぶっ飛ばされてました。

今現在よしとされる教育とはかけ離れた方法で育成されました。 

 

やはり親に捨てられるかもしれないとか殺されるかもしれないという恐怖心があったからか、

「一生を棒に振りかねない、ハイリスクな特性」を矯正できました。

 

今は、似た者同士の仲間に愛されたり、世のため人のためになるとされる資格を取ったりして、それぞれキラキラ生き甲斐や遣り甲斐、そしてちょっとしたら諦めをバランスよく味わいながら、がんばってます。

 

 

生殺与奪の剣を握る親に見捨てられる不安は死の恐怖に近いものがあります。

 

親に死の恐怖を感じさせられたり、憎んだりできた、そのため予後がよかった……?

もちろん誰にも、子育ての因果関係を確かめることは出来ません。

 

 

ただ、確かめることができないのは

「子どもの心を蝕んだのが体罰のせいなのかどうか」ということも同様です。

 

どちらも、確かめようがないのです。なのに一方的に体罰禁止…。

仕方のないことかもしれませんが、どうなのかなぁと思っています。

 

 

今は、社会が許しませんけれど、

………親が

…体罰や洗脳という罪を背負ってでも

…痛みとともに

…叩き込んでやらねばならないときって、

無いとは言い切れないのではないか

 

と、漠然とですが思います。

 

家族やたくさんの親戚や知人の話、仕事で出会った方々のことなどであり、

科学的な根拠、統計学に基づく根拠はひとつも有りませんけれども。

 

 

繰り返しますが、体罰は、心理的な悪影響を与えるとして、明らかにされたことになっています。

 

「命の危機を感じるような精神的刺激か肉体的刺激を受けると、脳が萎縮する、成長が止まる、という反応をするから体罰はダメ」

これは近年親になった人々はみな、既に耳にタコができるほど聞かされていますよね。

 

でも、実感として、体罰が心の傷になるかどうかは、人によります。

 

さらに言えば、

「人生が定まってくる時期以降に、親子関係が良くてハッピーかどうか」に依存しているのではと思います。

 

親と関係が悪くてアンハッピーな子供は、親が適切とされる対応を慎重に選びとっていたことを知れば知るほど、怒りのやり場に困ってしまうのです。

 

端的に言えば、ハッピーな人生であれば傷は消えますし、アンハッピーな人生ならばどんなに丁寧に心を尽くして尊重して育ててもケチをつけられるか、子供にとっての重荷にしかならないということです。

 

かつてある小学生が呟いてくれたことを思い出します。

「保育園の時からずっと、(怒りを必死で抑えた)大人たちが自分を教え諭そうとするのを、いつも茶番だとかバカにされているとしか思えなかった。

 

本気なら本気で言えと思っていた。

 

大人は、怒っていることを隠してるつもりなのか?それで?

バカじゃないの?と思っていた」

 

中途半端な「理解ある親ごっこ」をしたところで、底の浅さを見切られるだけです。

 

親は、子の人生がうまくいくよう、とにかくその一点にコミットするしかないのです。

 

自由だとか体罰厳禁だとか、理念を云々する以前に、結果として「子供にとっての長期的な幸福感」をもたらさねばならないのです。

 

 

 

毒親に体罰されたから親子関係が良くない(しかし人生は好転した)という人たちのお話を聞かせてもらいますと、

 

親がひどかったためにかえって親以外の、合う人と繋がれた……

どうにかして親元を離れたい、親みたいになりたくない、という一心で頑張れた…

 

ってことが明るみに出ます。

 

 

おかしな言い方ですが、 これは体罰が役に立ったと言える例ではないかと思わずにいられません。

 

 

体罰を受けた子は既存の脳が萎縮してしまうという研究があります。

 

脳が萎縮するというと物騒で、いかにも絶対悪に思えますね。

しかし、もしかしたら、大脳を萎縮させたことが高すぎる機能の凸をなだらかにする可能性が考えられはしませんか。  

 

小児期までの体罰(※死の恐怖に近いレベル)による脳全体の萎縮、機能低下は、

後天的に発達する前頭葉、つまり社会性 調整力 自制心などを司る脳機能がすくすく発達する余地を作ったようにも感じられます。

 

(科学的根拠はありませんが、自殺を企てた人のなかには九死に一生を得たあと、前よりも条件悪くなってるはずなのになぜか鬱が軽快して小さな幸せを見つけられるようになった、みたいなことがしばしば起こります。

2度目で完遂してしまう方も、いらっしゃいますが……)

 

体罰や大きな危機によって、脳の発達凸凹が緩和されて小さくまとまるのだとすれば、

脳の活動過剰で不適応を起こしている、先天性の性質を持つ人(高機能のASD ADHD等)にとっては、痛みや恐怖は、プラスマイナスの結果プラスの影響があったのではないのでしょうか?

 

 

ほかに手段がなかった時代は、発達に偏りを抱えた子の多くはこうして文字通り叩き直されたり(弱者に八つ当たり暴力の連鎖をしたり)淘汰されたりしたのではと私は考えています。

 

 

あなたは、体罰したことありますか。

 

体罰ダメと言われて久しい現代では、体罰してしまった、絶対いけないことなのに、と後悔なさったり、いつか体罰して取り返しのつかない心の溝ができるのではないかと思い悩んだりするのも無理はありません。

 

これからは、体罰が「まれに起こる悲劇的な育ち」として クローズアップされて、体罰を受けた=絶望的な育ち、と思い込む子も増えていくでしょう。

 

現在、精神科や心療内科、臨床心理の門を叩く方の多くが、教育熱心な親に叩かれたか、追い出されたか、あるいは、親が教育責任を放棄していて放っておかれたか、 されてます。

 

研究でも、精神科にかかっている人を対象に「体罰を受けたかどうか」を聞いているものが多いです。

 

でもそれによって体罰を絶対悪とするのは、早計ではないでしょうか。

 

「体罰 虐待されて育った人で今苦しい人、精神科 心療内科にあつまれー! 」というサインが発せられているというバイアスがあります。

 

体罰なしで育成すれば病まずに済んだのだ、という証拠は存在し得ません。

 

 

私は、自説が正しいとまでは申しません。

 

しかし、体罰は絶対悪という社会通念は、「歴代大統領は、選挙の日の朝必ず水を飲んでいた。だから水を飲むと大統領になる」って言説レベルのナンセンスである可能性も否めないと思っています。

 

 

*持って生まれた凸を削る勇気が必要なときがあること、効果的な「痛みと本能を利用して、わからせる方法のメリットデメリット」と向き合うこと、そして親としての原罪を背負うこと…

 

公的な療育では決して語られない、保護者による発達障害児に対する体罰。

 

当方では、発達障害児の社会適応に成功させた保護者らが行っていた体罰、不適応に至らせた保護者の体罰を分析して、一定の傾向を見いだしております。

 

 

親として、平常時に、体罰の功罪を学びましょう。

 

体罰がプラスになる可能性がとてめ高いのは、どのようなケースなのか、を知っておいて頂きたいです。

そうすれば、いざというときに、落ち着いて行動を選択できます。

傷になりやすいタイプの体罰を減らせます。

身に付けていただければと思います。

 

もちろん、体罰は暴力であり、2020年4月からは親子間でも犯罪となりますし、

「体罰受けた子=かわいそう、病んでる」みたいな社会的レッテルによって子供の心にぐっさりと突き刺さって抜けないトゲになる可能性もあります。

 

 

発達障害のお子さんの育成は、責任持って行う親御さんほど、 本当に苦しくて苦しくてどうしていいのかわからなくなるものです。

いつもモヤモヤは晴れず、晴れたと思えばまた大雨。

終わりがないように感じられて、死にたくなる……それぐらい心疲れますよね。

 

責任感フルで感じてる親ゆえの、尊い辛さ、尊い悲しみだと私は思います。

おばちゃんと、分かち合いませんか。

ご相談お待ちしております♥️

 

correct-me.hatenablog.com

 

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