※大部分の発達障害は現代病である、という視点で推論をしています。
エビデンスはありません。
昔は満たされやすかった破壊欲求
・社会が暴力や破壊というストレス発散法を容認していた
・自覚できないストレスは、落ち葉や雑草、虫、小魚などを痛めつけることで受け止めてもらえた
・自覚できないストレスを相対的弱者に転嫁することが許されていた
かつて、親は子、子は弟妹、末っ子は地域の低学年や小動物、姑小姑は嫁、という相対的な弱者に、罵声や暴力などを浴びせても、さしたる罰を受けることはありませんでした。
逃げ場がなく、生き延びるために暴力被害を甘んじて受ける、というケースも今より多くあったでしょう。
暴力をとりまく力、つまり弱者の生存戦略としての忍耐力と、いつか強者になれるという希望は、ストレス処理(転嫁)のサイクルとして、絶妙なバランスを保っていました。
生き延びるための戦略としてならば、暴力も耐えられます。
あるいは、いつかはめぐりめぐって強者になれました。
弱者と強者の立場を、ほぼ年功序列で経験できました。
強者への憎しみは、自分が強者になるときに、チャラになりました。
…良いか悪いかは別として、このサイクルが存在する時代では、循環構造に入り込めてさえいれば、精神を病む必要もありませんでした。
時代や土地柄、家柄にもよりますが、暴力性が自分のところで澱むことはレアでしたので、
暴力性が自責、自暴自棄(自死)に向かわずに済んだのです。
生き延びれば、誰かを殴っていい立場になれると実感している者は、どんなにパワハラを受けても自殺には至りにくいのかもしれません。
現代の日本では
現代では、対人間はもちろん、対家畜、対自然物も含め、暴力は原則として許されません。
破壊欲求のやり場があった時代の環境を再現することは、容認されません。
しかし、破壊欲求は本能的・原始的な欲求であり、食欲性欲睡眠欲同様に、単に禁じて抑圧すればよいというものではありません。
無視すると、深刻なひずみが生じます。
そこで
「現代でも許されている破壊行動」
に注目してみましょう。
自分に向いた破壊行動を、生活に取り入れ「破壊欲求が満たされているぞー!」
というイメージを意識的にするのです。精神的満足度が上がるので、おすすめです。
破壊を含む行動はたくさんあります。
比較的わかりやすい破壊行動は、以下の通りです。
・食べる、捨てる、魚釣り、魚を捌く、草刈り、害虫の駆除、肉を叩いて挽き肉にする、スイカ割り、瓦割り、陶芸(気に入らない作品は潰したり叩き割ったり)、シュレッダーを使う、ショッピング、旅行、髪を切る、爪を切る、鏡開き、飲酒、喫煙等
日本酒の酒樽のふたを叩いて割る(開く)お祝いシーンでも、男性陣を中心に軽く興奮しますね。割る+飲酒の相乗効果かもしれませんね。くす玉も盛り上がります。
絵画、木工などの創作全般やお金を稼ぐことは、創造的、建設的な行動とされていますが、厳密に言うと、白いキャンパスに筆を置く、木を切り出す、時間を遣うなどの破壊行動が前提となっています。
生存欲求は破壊欲求創造欲求へ
食欲 睡眠欲 性欲が人間の3大欲求、と言われますね。これらは、生存本能に基づいた欲求です。
現代の日本のように、これらの生存本能が脅かされにくい環境では、破壊欲求と創造欲求と承認欲求の3欲が強まりやすくなります。
発達障害が引き起こすトラブルは様々ですが、多くは、満たされない欲求のドライブが理性によるブレーキに勝ってしまうことや、理性ブレーキにより抑えつけすぎてしまうことから、生じています。
リアルな世界において、
・他者の権利をなるべく脅かさずに、
・破壊欲と創造欲を程よく満たし、
・自他の承認欲をなだめ、
・前頭葉等(ここでは理性)の活動に余裕を持たせる工夫を身に付けてほしい、
と当研究所では考えています。
*1
*1:実は、子どもたちはマインドクラフトなどのゲームで破壊欲求と創造欲求を満たしていることもあります。ただ、無自覚のままですと、ゲーム廃人になりかねません。 自他の承認欲求をなだめながら他者の権利を脅かしすぎずに破壊と創造という営みをバーチャルで補っているのだという自覚を促しつつ、リアルでやっていくことの意義にも気付かせていきたいものです