自信がなくて引っ込み思案で優柔不断で何を選択しても不安そう。
こんなお子さんは、自己肯定感が低い状態である、と言われています。
のび太は自己肯定感低い、とおっしゃる専門家が多いでしょう。
ジャイアンはどうでしょうか?
「うちの子は、自己肯定感だけは高いです。どこから出てくるの?というくらい、根拠のない自信に満ち溢れていて、常に自分が正義、尊大すぎてまわりが困っているくらいです。
これ以上自己肯定感を上げろとは、どういうことですか?自己肯定感は十分すぎるほどあるのではないですか」
こういった疑問を抱く剛田さん(ジャイアン)のお母さまもいらっしゃいます。
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自己肯定感という概念は幸せ などと同様に数値化も明確な言語化も困難です。
正確な定義をと思うと専門家たちがガチバトル始めますのでここでは割愛します。
このブログでも、文章によって、自己肯定感という言葉を狭義で使ったり広義で使ったりしています。
一般に療育などで言われる「自己肯定感の高い状態」というのは、欲求が健全に(完全にではない)満たされている状態とほぼ同じだと思ってよいです。
現代では、生存欲求はほとんど刺激されることもなく、性欲も思春期前の子どもにはあまりなく、欲求と言えば睡眠欲、食欲、承認欲でだいたい収まります。
尊大すぎるくらいの状態というのは、承認欲求が肥大しすぎて、満たしきれていない、なおかつ自制心が弱いために起きていることがほとんどです。
たったひとつ満たされていない承認欲求の穴を、他者からの承認で埋めたくて、がむしゃらな精神状態なのです。
つまり、ジャイアンは、自己肯定感が極めて低い、高ストレス状態だと言えます。
承認欲求を他者に求めて満たされ続ける癖、例えばほめられる癖や、勝ち癖がついてしまった人が、思春期以降、親に代わる承認者を得られなかったり、強敵が現れて勝てなくなったとき、自己肯定感(もう少し正確に言うと、自己有用感 自己効用感 自己有能感)の取り返しがつかなくなることがあります。
ほめられなければ気が済まない子、勝たなければ憮然とする子は、大抵学校で嫌われます。
嫌われ者が、親に代わる存在(友達恋人や地位、人気、収入など)によって承認され続け、なおかつ満足し続けることは、極めて困難です。
他者からの承認を渇望することになります。
その熱望が試行錯誤とチャレンジに向かい、立身出世を果たす人も中には、いるでしょう。
が、誰にも真似のできないレベルの強みがなければ満足の行く立身出世は実現できません。
ジャイアンは、たまたま地域で傑出してけんかと野球が強いということだけが広義の自己肯定感(自己有用感)の供給源となっていると思われます。狭い世界では無双していても、広い世界に出てもあのままであれば行き詰まるでしょう。
続きます。
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