- 他者の評価を一切気にしないと四面楚歌になる
- すごくラクになるのにちっとも広まらないアドラー
- 「嫌われる勇気」と「嫌われない工夫」を使いこなしてメンタルエリートに
- 嫌われる勇気を持つと一次的に救われるけど二次的に超絶嫌われる
- ストレスが減ることも諸刃の剣
- 助け合ってナンボ
他者の評価を一切気にしないと四面楚歌になる
アドラーは「嫌われる勇気」を持つことをすすめています。
「あなたの事を嫌う人が周りに誰もいないとすれば
あなたはとても不自由な生き方をしている。
もし、あなたが言いたい事を言い、
やりたい事を好き勝手にやっているのならば、
周りにはあなたを嫌いになる人がいるはずである。
従って、
あなたが人から嫌われるという事は、
あなたが”自由”に生きている事の証であり、
自由に生きるために必要不可欠な要素と言える」
アドラーは、嫌われるのは自由の代償だよ!人から好かれようとしては自由になれないよ、嫌われるという代償を払ってガッツリ自由になろうよ♪、と言います。
いかがでしょう。
他者承認欲求とかしゃらくせえ、かなぐり捨てちまえ!!というアドラーの考え方。
確かに、アドラーに従えば、他者の承認が不要になります。
心は自由になり、言動も自由になります。
アドラーの価値観に染まると、他者も承認も否定も、ただそこにあるだけの無価値なもの、と感じられるようになります。
怒りも憎しみも基本的になく、悠然と、自由に過ごせるようになります。
これは、人間関係のストレスに悩む全ての人にとって、大きなメリットと言えるでしょう。
しかし、致命的なデメリットもあります。
感情優先の社会においては、「他者感情なんぞクソの役にも立たねぇ」というアドラー心理学的な思考は、無気味な邪教です。
踏み絵をさせられたり、魔女狩りに遭ったりすることもしばしばです。
すごくラクになるのにちっとも広まらないアドラー
メンタル保護によく効くアドラー心理学。
実際には、アドラー心理学利用者は多くありません。ごく一部のメンタルエリートのみです。
小乗仏教(上座部仏教)である禅宗が、武士の仏教とされ、庶民に広まらなかったのと少し似ています、自己の修練を必須とする禅宗を、庶民に押し付けても、反感を買うだけなのです。
いつの世も、庶民は、おまじないや綺麗事を唱えておけば救われるよ、っていう教えの方を好むのです。
「感情にふりまわされるなぞ笑止。傷付かない心を作るべき。精神修行不可欠!」というアドラールールを、
「感情こそ唯一にして至高の基準」と公教育を受けている一般社会に持ち出したら、どうなるでしょう。
「人の気持ちを考えろ!!!」
「人間の心がない奴だ!!!」
となじられ嫌われるでしょう。
真っ向から否定されずとも、あらぬ扱いを受けることでしょう。
アドラー心理学は諸刃の剣です。
内面を研ぎ澄ませ自己完結に至らせるがために、自己の防御力は上がるけれども、他者承認を必要としなくなってしまうので、相互承認供給システムから
遠ざかってしまうのです。
これは、人を巻き込んでの相互承認ごっこでなんとか自尊心を保っているメンタル庶民(いわゆる定型発達、典型発達群)には、受け入れ難いものです。
人の助けを得ながら生きていく、これが真だとしますと、「嫌われる勇気」一辺倒では詰みます。
「嫌われる勇気」と「嫌われない工夫」を使いこなしてメンタルエリートに
真のメンタルエリートは、「人は一人では生きられない」ということを謙虚に受け止めています。
そのため、アドラー心理学的な思考を身に付け心の防御力を高めつつ、他者の心を侵害しない気遣いを忘れません。
世の中は感情原理主義世界だと知り、敢えて、感情原理主義者を尊重しています。
嫌われる勇気を持つと一次的に救われるけど二次的に超絶嫌われる
アドラーの落とし穴に落ちないために、アドラーと感情原理主義の相性の悪さを知りましょう。
アドラーに従い「嫌われる勇気」を導入すると、もともと嫌われやすい子でも、メンタルはいったん安定します。
しかしますます嫌われてしまいます。
結果、
・自分の意見しか通したがらないので、グループ作業ができない
・休んだとき等、自分から支援を求めなければ、変更事項や授業内容を教えてもらえない
・「いい奴/人気者だから、大目に見よう」という柔軟な対応が一切受けられなくなる
等、集団生活上の不都合が発生します。
低年齢であれば多くの子の持っている機能:忘れる によってなんとかなりますが、そのうち、看過してもらえなくなります。
ストレスが減ることも諸刃の剣
ストレスが減ることは、一次的にはメリット大です。
しかし本人と周囲がパニック経験できなくなるデメリットも見逃せません。
ストレス対処法のアップデートがなされなくなるというリスク。考えたことはありますか。
想定を超えた痛みや事故等、心理コントロールの効かない感情の波に対処する、実践的訓練が不足します。
ストレスが減ると、日頃は安定して過ごせるようになります。
ただ、取り返しのつかない規模の大パニックを起こしかねません。
アドラーを取り入れますと、短期的には日常が穏やかになるのは確かです。
しかし、本人が、精神的ストレスの緩和方法や頭の冷やし方を身に付ける必要性を感じる機会が少なくなってしまいます。
周囲も、
「こいつは何を言っても暖簾に腕押し、糠に釘、蛙の面に小便だしどこ吹く風だ」
とばかり、適切な間合いを取らずに、無配慮に接しがちになります。
心の防波堤が機能しているうちは良いのですが、防波堤が決壊したときにどう対処すべきか、ということについて、本人も周囲も、無知無自覚になりやすいのです。
「穏やかないい人だったのに、まさかあんなことをするなんて…」と話している姿、放映されますよね。
その背景にあるのは、立派なメンタル防波堤のせいで本人と周囲の危機感、対応経験が薄れて油断してしまったという事実です。
アドラー心理学は、メンタルを守るために、とても役に立ちます。しかし、導入するときには、上述したリスク「配慮 遠慮が受けられなくなる」ということも踏まえて、備えておきましょう。
助け合ってナンボ
誰もに一目置かれるような特技や容姿、あるいは資金力があるならば別として、
庶民、ましてや、もしかして発達障害グレーゾーンの方は、誰かの力添えや許しが得られるか得られないかで人生の笑顔の総量が変わります。
これから人生の荒波に立ち向かうお子さんには、
アドラー心理学と、感情原理主義のいいとこ取りをしていってほしいなと思います。
そんなの無理!!
と思われるでしょう。
私も、無理かも、と思ってます。
でも
無理だと思いつつ無理矢理させちゃってること、ほかにもありますよね?
(私だけか?)
お子さんにもよりますが、
当たり前のこととしてさせていることよりも、
効果というごほうびを得やすいので、
アドラー等の心理テクニックが身に付きやすい傾向があります。
(脱いだ靴を揃える…服を畳む…洗面所の水ハネを拭き取る…トイレットペーパー補充…計算、漢字、受験等、
本人が短期的メリットを感じないことは、社会通念上身に付けさせたいことであっても、うまくいかない傾向があります。)
価値観バトルロワイヤルに於いて少しでもしなやかに、生きやすくなるために、
「嫌われる勇気と、愛される工夫(嫌われない知恵)」両方持たせてあげましょう。
続きます。
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