こんにちは、ただのおばちゃんです。
今日は本から切り込みます。
アスペあるある→本好き、辞書好き、図鑑好き
アスペルガー傾向ありの言語凸の子は、しばしば本にどっぷり魅了されます。
定型発達寄りの子にももちろん本好きはたくさんいます。
しかし、寝食を忘れるレベル、依存、執着のレベルで本が好きというのはアスペルガー風味を感じさせるに十分です。
※本好きでない子もたくさんいますよ!
京大生時代、仕送りを全て本につぎ込み、栄養失調となって1年間休学する羽目になった、という知人の話を聞いたらあらアスペルガー尊い💕と思う、そんなBBAの一意見にすぎませんので軽く読み流してね。
さて、アスペルガー風味で本が好きな子の話に戻ります。
彼らが本を好きになるのはなぜでしょうか。
・学校などで、典型発達とやりとりするよりも、書物を通して出会う筆者像や登場人物に対してのほうが、親和性があると感じる。
・リアルな付き合いよりも、目や体を動かさなくてよい。
・知識を、効率よく取り入れやすい。
・登場人物の発達凸凹感。
・筆者の目線から俯瞰するだけで全貌がわかる(リアルでは、その目線は神のものでしかない)。
・登場人物の人間性や価値観、考え方の変化を判断する材料が、多すぎず少なすぎず、分かりやすく、経緯も含めて示されている。
他にもあるかもしれません。よかったら教えて下さい。
どうやら本の世界とアスペルガーは親和性が高いようですね。
さらに掘り下げていきます。
本はアスペの賜物
エジプトはナイルの賜物。本はアスペの賜物。
実は古来、石板、パピルス、書物の多くが、アスペルガー傾向有りの人たちによって記されてきました。
典型発達(定型)の人が本を書くときにも、無意識のうちにアスペルガー文化を踏まえて書こうとしています。
なぜかというと、アスペルガー文化のひとつとも言える
「こだわり」
は、本の面白さ、論理的なわかりやすさに欠かせない要素だからです。
※ただし、アスペルガー文化に則った文章は、誤解を招かないことを最優先して書かれがち。そのため、くどくどした印象を与えがちです。
私の場合、とっちらかり風味も手伝って、主語が定まらず書き散らかしていくところもありご迷惑お掛けしてます。読んでくださりありがとうございます!
本の中でも、辞書、図鑑。
辞書はどうでしょう。
徹頭徹尾、ASD的言語感覚によって、編纂されていると言っても過言ではありません。
辞書は、アスペルガー的言語理解を助ける力を持っています。
図鑑は?
もちろん、アスペルガー同士の心の交流場そのものです。
アスペルガー感の少ない図鑑もあるにはあるのですが。
自分の感覚的に都合のいい本と戯れるとき、アスペルガーは孤独を感じなくて済みます。
本は、理解者を渇望するアスペ仲間が書いたものだからなのかもしれませんね。
辞書を持たない典型発達
辞書や図鑑を作りこよなく愛するアスペルガー勢(正しさや言語やロジックにこだわる人々)に対して、典型発達(定型発達)者は、私の知る限りでは、典型発達向けの辞書を持っていないように見えます。
典型発達(定型)の言語は、辞書にはあまり載っていません。
【もういい】
①大丈夫です。完了です。
②多すぎる
③怒りが頂点に達しています
↑
②、③が定型語です。
ほかにもありそうですね。
【好きにすれば】
①好きな行動をしてよい
②怒っています
【知らない】
①見聞きしていない記憶にない
②怒っています
【わかった】
①理解した
②うるさい黙れ
③怒っています
【大丈夫】
①わるくない
②要らない
③がんばれる
④弱音は吐けねえ
【絶対】
①必ず
②祈る
ここに載せきれないほど、言葉には辞書にない意味があります。
ファジーさが売りの典型発達寄りの方にとって、辞書は、あまり実用的ではなさそうです。
話し言葉を通して、典型発達寄りや偽定型たちがそれぞれ好き勝手に学びとるスタイルが主流です。
そもそも、多くの定型脳は、長期記憶はあまり得意ではないようです。
辞書や図鑑で覚えた知識を軽視します。
ただし、定型(典型発達)寄りの方でも、辞書や図鑑によってアスペルガー文化圏に立ち入ることはできます。
定型は、自分の環境から定型寄りの言語感覚を身に付け、辞書からアスペの言語世界を垣間見ることができます。
また、自分軸がガバガバなおかげで、多数派に絡め取られるときのストレスも少なく、メンタルも削られないで済んでいます。
自前の脳の中の辞書を頼みに生きる者と違い、無意識に味方がたくさんいると思い込んでいますから、人に対して臆すことなく、正解のないコミュニケーションという知恵比べに挑みやすいです。
ASDのライフハック
ASDは少数民族。
定型寄りの人たちの、辞書を無視した言葉の使い方に、違和感を感じがちです。
ではどうしたら良いのでしょうか。
辞書が示すものは、絶対的正解ではなく、ASD用語の解説書に近いのではないか。
……こう思って、高速脳内変換できるようにしておくと、定型寄り他者の適当な物言いにも少し寛大になれるかもしれません。
寛大になれば、ストレス負荷が下がり、落ち着いて対応できて、実力発揮しやすくなります。
発達障害であっても、立場を冷静にとらえ、長期的に損をしない言動を選び、郷に入っては郷に従え、の精神を知り、寛容さを持てば、定型社会でもそれなりに無難に生きていけます。
凸伸ばしは、ここからでも遅くありません。
多数派を憎みながら凸を伸ばすのは、ハイリスクだと我々は考えています。
例 「相談」「話し合い」
相談、話し合いとは、言語=辞書ベースの人にとっては、問題解決手段、目的達成手段のひとつ。
「どこに出かけるか相談しよう」
「どこに出かけるか話し合おう」というものですね。
結論や正解を出すのが目的なんですね。
一方、言語=口伝ベースの人にとっては、問題解決手段の意味を示すだけではなく、愚痴、ガス抜きと、慰め的共感の相互扶助あるいは扶助要請を含むのです。
「相談があるんだけど…」
「夫と話し合いが成り立たない」というものですね。
結論とか解決手段とか建設的な意見とか
一切イラナイからガスを抜かせて、共感して、みたいなね。
ほとんどの人は、明確に区別せずに使っています。その時その時で、1の語義にこだわったり、2の語義にこだわったりしています。
当研究所では、悩める方がモヤモヤしているポイントを見極め、マンツーマンで落としどころを探します。
モヤモヤを言語化する幸福感
発達障害、特にアスペルガー、ASD傾向のある脳にとって、モヤモヤを言語化して納得できたときのスッキリ感は、とびきりのごちそうのひとつです。
人を攻撃したりマウントをとったりすることでも一時的にはスッキリします。しかし多くの場合、憎しみの連鎖を生みます。
「美味しいけど、毒」
です。
毒も、どん底から這い上がるためだけならば悪くありません。ただ、少しでも浮上できたらその後は避けた方が無難でしょう。
モヤモヤを言語化し、独自の面白ロジックをこじつける習慣は、人生の暗闇を照らすランプを作るようなもの。
子育てや後輩育成のときにも役に立つ習慣です。
一度この楽しさを知れば、ライフハック方法を次から次へと見つけ始めるでしょう。
そのきっかけを見つけてほしくて、活動している、もしかして発達グレー研究所 ただのおばちゃんでした。
読んでくださり、ありがとうございます💕
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