よく言います。
言ったところでなにになるのでしょうか?考えてみましょう。
- 問題解決出来ないくせに「大人に相談して!」と言われましても…と困る子供達
- でも相談してほしいの、先生も大人も
- 相談されたいなら、解決してくれ!!~ 子どもたちの悲鳴
- 先生に裁判させるとおかしなことになる
- 担任という、群れのリーダーにできること
- セレクションのない公立小学校の先生のお仕事は、勉強を教えることでも、子供達をジャッジすることでもないと思います。
問題解決出来ないくせに「大人に相談して!」と言われましても…と困る子供達
先生や大人は、「困ったら言ってね!」「何かあったら、言ってね!」とよく言います。
しかし、コミュニケーションや言語に確実性を求める子、言葉へのこだわりを持つ子にとっては、この声かけは、混乱のもと、絶望のもとです。
「困ったから言ったのに、なにもしてくれなかった」
「何かあったら、の、何って何」
こういったつまずきに対して、予防的対処を行わないと、一部のお子さんは思いがけぬ混乱を静かに繰り返し、誤学習スパイラルに陥り、心を蝕まれます。
でも相談してほしいの、先生も大人も
相談を必要とするお子さんから相談されたいならば、相談してね、では届かないと思った方が良いでしょう。
×「相談してね」
○「相談してね。どうしたらいいか教えてほしいときと場合には、遠慮なく言ってねって意味ね。大人でも正解はわからないけど、経験から来るアイデアは出せることもあるかもしれないから。時間やアイデアがないときは突っぱねるかもしれない、そこは予めごめん」
でも、学校における「相談」には、他者の権利も絡んできますので、相談者の思うような解決をもたらせないことの方が圧倒的に多いです。
子どもが、ちょうど相談に乗ってあげやすいタイミングで相談してきてくれるとも限りませんので、「ごめんあとで」と言って流してしまうシーンもあるでしょう。
また、社会通念上、「相談」とは、ダラダラした愚痴垂れ流しのことも指します。
凸凹ありの子がやっと身に付けた社会通念を携えて、勇気を出して、忙しい担任に「相談」するとき。
なんだよこの忙しいのに愚痴かよ、となるわけです。
ピシャリと「は?」「どうしたいの?」「自分で考えなさい!」「そんなことも自分で考えられないの?!」と詰られるかもしれません。
そんなきつい言い方でなくても、気を遣う子は
「聞いても改善しなかったら、悪いなぁ」
という気持ちで相談ひとつできません。
お子さんの気持ちを想像してみてください。
運良く先生のリアクションもらえたとしても、共感、寄り添い、同調ばかり。実行しようと思える具体的改善案は一切なし、改善の見込みなくて絶望…ということがよくあります。
せっかくなけなしの社会性を絞り出して相談したのに、このような驚きと共にがっかり体験が起こるのです。
社会性とか社会通念なんてやっぱ意味不明、相談なんてしたって無駄だ、孤独の方がまし、と思い込みかねません。
こういった経験を経て、子どもは大人を役立たずだと見なすようになります。
困っても、大人に相談してみようかな、とさえ思えなくなってしまいます。
相談されたいなら、解決してくれ!!~ 子どもたちの悲鳴
発達凸凹の子にとって、相談窓口や善良な仲間・利益へのアクセス力は生きる力として必ず身に付けておきたいスキルのひとつです。
「相談」したら嫌なことがあったというような、相談とネガティブな記憶がつながる事象があれば、見逃さず、確実に埋め合わせしてあげてください。
これにより、やたらめったら報告、相談してくるようにはなり、ちょっと鬱陶しくなるかもしれません。
それでも、報告、相談自体をしたくなくなるような対応はしないほうがよいです。
報告、連絡、相談にも、ランクがあります。
たとえば、打たれ強さが少しはある、野球好き、ならばファインプレーとヒットとファウルぐらいに分けて(アウトはなくて良いと思います)、状況と合わせて、今の相談はヒット!というように、伝えることで、報連相の場数を踏ませましょう。
同時に、お子さんには、ことばの持つ多面性、受け取り方の多様性を教えましょう。これはとても大切です。毒親と言われても叩き込むのが我が子のためだとおばちゃんは思います。
「あなたに困り事や相談、質問があって、どうしたらいいか私に考えてもらいたいとき、自分では考えられなくて思考停止だなってとき等があったら、教えてね。
聞いたり考えたりしてあげられるかどうかは、そのときの私の都合による。
その時私が役に立てるかは、ぶっちゃけわからない。助けてあげられるかもしれないし、助けられないかもしれない。
でも、その時役に立たなくても、あとから役に立つこともあるかもしれないし、質問や相談というコミュニケーションを試みてくれるその関係性がなくなるのは寂しい、だから教えてね」
「フツーの人の価値観では、相談してね=ガス抜き手伝うよ、話し合おう=ガス抜き手伝ってよの意味であることも多いっぽい。」
「相談してねって言った人も、タイミングや相談内容によっては、自分で考えろ!と言うかもしれない。めげる必要はなくて、失敗から始まる試行錯誤の栄えあるスタートだなと思うといいかも。
相談相手、タイミング、内容、いきなり適切な相談なんて出来ない!私も何回も何回も失敗しながら、感覚をつかんだものだよ。それでもまだ相手を怒らせることはある。
怒られたら一緒に原因分析しよう。それでもわからなければ次いこ次~。虫の居所が一年中悪い人もいるからね、私も含めて」
など、その子のモヤモヤしてそうなポイントに応じた補足の説明をすることで、「いつでも相談してね。」に対するお子さんのモヤモヤ感、困り感が少しは減らせるかもしれません。
先生に裁判させるとおかしなことになる
独裁政権における恐怖裁判
学校でけんかが起きると、担任が、該当者(とギャラリー)を集めてジャッジをしたがります。
担任は、しゃべりの得意な方に引っ張られて、雑な聞き取りをします。
不器用なタイプが容疑者にしたて上げられることもあります。
とにもかくにも無理矢理「ごめんね」と謝らせ、無理矢理「いいよ」と言わせるのが、学校のお作法です。
学校は、理不尽なモヤモヤを得る場です。
納得できなくても、謝ったり反省文を書いたりする人間力を身につけるために、学校に行かせていると思った方が、現実に則しているケースがあります。
モヤモヤを家庭に持ち帰って、年長者のスーパーバイズを受けながら言語化するという作業が大切になります。
学校では、無理矢理、謝罪ごっこ、和解ごっこをさせ、下手したら数分後には同じ作業をさせるんです。
トラブルは全てなかったことにするんです。
しかも。担任の先生は、このように、便宜上、双方の弁護士と、裁判官と、検察官と、陪審員選びと、裁判長をかねています。
教室内では、立法、司法、行政の三権さえ掌握しているのが担任と担任のお気に入り軍団です。
これってとっても怖いことです。
ドライブレコーダーならぬ教室レコーダーもなく、先生のお気持ち次第で、独裁や強制排除が起こり得ますからね。
当研究所では、犯人探しも証拠集めも問題解決も裁判も審判もテストの丸つけも、先生がやっているジャッジメントは全て、ジャッジメントごっこにすぎないと思った方がいい、とお伝えすることがあります。
担任の先生の資質にもよりますが、強い影響力を持たせないほうがお互いのためだよな、と思われる先生、結構います。
担任という、群れのリーダーにできること
セレクションのない公立小学校の先生のお仕事は、勉強を教えることでも、子供達をジャッジすることでもないと思います。
先生のほとんどは誠意をもって、問題解決あるいは、子供の成長を目的として、相談されたい、 なんとかしてあげたいと考えてくれます。
ただ、その思いがうまく作用するには、子供たちは多様すぎるのです。
お子さんが持っておくべき先入観は、以下のような学校の先生の役割だとおばちゃんは主張しています。
・感情優位の群れのミドルゾーン数人に勉強を教えること
・群れに、群れであることの安心感を叩き込むこと
・群れの浮きこぼれと落ちこぼれに「群れに属せ」とプレッシャーをかけること
・理不尽と思う経験をさせ人間不信にし、精神安定のスキルを親子で獲得するよう仕向けること
・発達凸凹やHSC HSP ギフテッドgifted 2e twice exceptional傾向があり予後が心配な子を精神的に突き放し、家庭という安全地帯への帰属意識を高めさせること。
裁判ごっこも、正しいとか間違っているとかを判断できているわけではないんだよ、と伝えます。
・「先生から見えている世界観」の提示をし
・社会通念原理主義・感情主義を支える儀式のひとつ「謝る/許すの儀」というイベントをさせて、
・モヤモヤを増やし、
・そこからモヤモヤの減らし方・言語化することのスッキリ感を感じさせたりすること
だと思います。
謝る子と許す子がいれば、多くの先生は満足なさいます、謝る子は一人いれば、いけにえには十分です。
このような「儀式」に懐疑的なお子さんは、儀式のメリットとデメリット両方わかるようになるまでは、先生にガチ相談なんて、やめておいたほうがよいです。
価値観はオセロではないと伝え、郷に入っては郷に従え、の言動規範を教えましょう。
また、綺麗事では傷が深まるばかりの子に対しては、ゲスなライフハックを提供し、深刻なストレスを緩和してあげましょう。
そして、家の責任の届きやすい範囲で、現実的実用的な社会性を積み増ししてあげてください。
それでも、空気読めない先生が「私に相談して!」と言ってきたら…
その先生にでも解決できそうな相談ごっこを持ちかけて、
先生の自己肯定感を育んであげるのも妙案です(笑)。
先生に失望しないレジリエンスと、先生の機嫌をとるスキルを、身に付けてからでないと、先生に相談するのも命懸けです。
(親の場合でも同じです。子に、大人を信用させ過ぎるリスクも考えるべきと思います)
健全な防衛力を身に付けてからであれば、先生への相談スキル獲得のための試行錯誤に挑戦することができます。
決して、ピュアすぎる、繊細すぎる、人を信じすぎる無垢な心のままでいさせないでください。
メンタルヘルスは、まずは守備から、です。