参観でなにをやらかそうと、親がどんな話を聞いてこようと、叱られるでもない、
何があってもいつも通りの家庭、
それでも授業参観の前後に荒れるお子さんや、
来てほしくないと言うお子さん。
なぜでしょうか。
他者に寄せているケースを除くと、
自己嫌悪の表出であるケースが多いようです。
さらに言えば「悪いのは自分??」「あいつらだって…」「でも自分ばかり怒られる…クソクソクソクソ」というように、モヤモヤがモヤモヤを生み出す負のスパイラルに突入している可能性があります。
(とはいえ、荒れる、あるいは、来るなと言う、という表現ができていることは、
同じ感情を抱きながらも表出できていない場合よりは、おばちゃん、よかったと思います。
子どもが、荒れて暴れたり、悪態つく行為を、
SOSだとして受けとって、ヘルプすることができる大人は、ちらほらいます。
しかし、ニコニコ満足げな顔をしながら悲しみや憎しみを深めていく子については、たとえこのままでは予後不良だと支援側が思っても、親御さんも本人も自覚がないために、手の出しようがないからです。)
「やましいことがあるから」?
まあ、そんなかんじです。
でもね、たとえやましいことがあっても、
「授業参観、嫌だよねぇ」
「だよねぇ!俺も俺も!まじ勘弁だわー」
と愚痴り合う(価値観の一致を確認し合う)スキルがあるか、相手がいるかすれば、平穏にその時をやり過ごせるんですよ
あ、承認されて当たり前、と思い込んでしまうと、危険ですよ、
承認には精神依存性がありますから、常習化し、常に価値観の一致を求めてしまいますからね
価値観一致の喜びを無自覚に繰り返すと、ヒステリックになっちゃいます(自戒をふんだんに込めています)、お子さんの嫌う先生のようにね
承認されすぎも危険
ですが、
承認不足のストレスも危険なので
ガス抜きのライフハック(処世術)に、触れさせてあげます
大した友達だと思わないかもしれないが
それはONE PIECEのルフィやポケモンのサトシの友達に比べたらろくなもんじゃないが
あれはフィクションだから
あの友情もフィクションなの
リアルの人々が友情だ何だというけれど、
あれは相互承認供給システムとしてつながってるのがほとんどだよ、おばちゃんもね
相互承認の効果が得られなくならないようにメンテナンスするんだ
メンテナンスが追い付かなくなったら放棄して
至急撤退したんだけど
そしたら孤立したんだよね
孤立は悪いことではないけれど
多数決やパワーバランスでは不利なんだよ
ほんとにあのときは苦しかった
この世でひとりぼっちみたいな気がしたよ
だから今は
相互承認供給システムの予備も確保してる
「こうしろああしろ」的なニュアンスを感じると興味持ってくれませんから
体験談、失敗談を話すのです
親ってどうしても偉そうになっちゃうんですが、
えらそーにしてる人の失敗談ほど、
人に興味の無さそうな子でも、
耳を開きやすいですね
すぐにはピコーンと来なくても
実体験と結びついた時
あ、このことか、なるほど、
と気付いてくれることは多いですよ
授業参観に限らず、
お子さんの問題行動改善の方法は、
「自分以外の、誰かの、やっちまった情けない話」
としてインプットしていくほうが入りやすいです
(やらかす子を吊し上げると、定型寄りの子は、襟を正すか、踏み台を得て満足するか。あるいは、心密かに疲弊するかです。
いずれにせよ、担任の目から見えた、クラス全体の問題行動総数は減ります。無能でも簡単にまとめられるので、都合がいいんです。
だからつるまない子を吊し上げる先生が滅ぶ日は来ないのですよ)
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