続きです。(すみません、タイトルで名作タッチの名言をパロディしてすみません)
クソ授業も使いよう♥というエントリーです。
正解にこだわる系、納得したい系の特性を示すフェイズの脳デカ族にとって、グループワークや道徳は鬼門です。
今回は道徳のお話。
道徳は、数あるクソ科目の中でもかなりの無理ゲー。
あんなん、やらされる先生も生徒も気の毒。
でも、こういう場面でこそ脳デカ族の先輩たちの知恵が役立ちます。
道徳という言葉のイメージにとらわれずに、面白きことも無き世を面白くのマインドで取り組めば、一生もののお役立ち体験になるのです。
授業参観の道徳は、多くの先生が気合い入れていて、多少準備や工夫がされています。その他大勢の児童たちも、普段よりはまあまあ協力的かな。それでなんとかなるかどうかギリギリ、というのが現実。
普段はガバガバです。道徳(仮)とか道徳(笑)とか道徳(審議中)という科目名にしたらどうかと文科省に進言したい。子供たちの頭の上にはてなマークか怒りマークが浮かんでそのまま終わります。
何でもスッキリ納得させれば良いというわけではないですが、いくらなんでも誤解を招きやすすぎる。
道徳の授業にはいくつかのパターンがありますが、メジャーなのは
1 文、イラスト、映像などを鑑賞する
2 どんなものかを言語化して共有する
3 感想を共有する
4 まとめ
といったスタイルです。
3 感想をシェア 4 まとめってのが、正解知りたい勢のバグりポイントね。
感想をシェアする方法は
・グループで意見交換
・個人で手を挙げて指された子が発表
・記述して提出
などパターンはいろいろです。いずれにしても、我らが界隈は正解を探そうとするわけです。正解、それは
「正しい意見を言うこと」
と思いがちですよね。ふふふ、それは違うかもよ。頭がいいのがバレているなら、評価項目変わりがちの法則よ!*1
授業には授業の目当てがあります。正しいと信じることを言うより
「他の子のクソな意見にもいいところを見出してほめる」
「先生のリアクションを踏襲する」
「まわりに溜飲を下げさせる」
このほうが、評価上がるまであるよ。
これに反して正しいと思うことを言うならば、間違った者、持って生まれなかった者(先生含む)にコンプレックスを抱かせない気遣いが必須なんだよな。相手の自尊心のため、って側面もあるけど、それだけじゃないよ。嫉妬による嫌がらせ被害を最小限にするために、とっても大事なひと手間なのです。
しかし、知能が高い子や、家庭で「正しいこと」を教わっている子ほど
「授業=正しいことを教わるべき時間」
「勉強=知らなかったことを知ってわかること、正解を知り覚えること」
「正しいは正義、間違いは悪」
という大いなる誤解を持ち続けがちなのです。それでは、モヤモヤ半端ないのも無理ないよ。
高知能家系なら、就学前に、こういう学校イメージをぶっ壊しておいたほうがいいよ。学校という、家とは別の文化圏に留学するのですから。
*クソ縛りありの自由
クソ道徳は、鬼門です。発達障害グレーゾーンに限らず、記憶力思考力のある子、聡明な子の心をザワザワモヤモヤさせまくっている科目です。
おばちゃんは、ピュアすぎる子には、無理があると考え、予め汚します。
まず
「道徳」
こりゃ名前が良くない。なんかさ、普遍的な正しさがそこにありそうなんだよな。完全に名前負けやろ。
「お気持ちタイム」
「忖度チャレンジ」
「受け取り方の多様性フォーラム」
「保守的な会社の入社試験対策」
のほうがフィット感があるんじゃないかね。
「誰得タイム」
でもいいかも。お子さんの心の負担の少ないタイトルに脳内変換するとよいかも説、これを伝えましょう。あ、学校で
「お母さんが誰得道徳!って言ってた」
とかペラペラ喋っちゃう子は別ね。
どう?科目名の翻訳。なんかまぁまぁ楽しく取り組めそうじゃない??
そして以下のことを叩き込みます。
道徳の授業とは、
先生の目当てやまとめを想像する…
意見発表前半はとんちんかんなのを当て続けて
「いい意見ダネ」
というウソだろぉ?的なリアクションを聞かされ、授業の最後は一番忖度力の高い子が当てられる…
手を挙げ続けても当てられないことも、
「違うかなー」
などと言われても、
どんなにくだらない意見を長々聞かされても、
どの意見にも価値がある!と眼差しに光をたたえ。
私の意見は数多ある意見の一つにすぎない、と表面上は承認ゴッコ、内心は誰得タイムwワロスwとウケつつ、折れない心を身につけるダウンタウンの、笑ってはいけないシリーズ学校バージョン…
考えているふりをしながら、
他人の意見はほぼ全てなるほどー、確かになーという顔をしながら、
自分の考えは言わないでおく…
そう、今、界隈のお子さんがまさに苦手としている、世渡りスキルを養成するのにぴったりな時間なのです。
これを活かさない手はありません。
もちろん、準備なしに道徳の授業に参加したところで、世渡り上手になるわけではありませんよ。予備知識が必要です。
でないと、わけがわからない不気味さに耐えられなくなります。
ご丁寧に、
一部の自称理解ある先生は
「ほんとうの、ほんとうの、みんなの素直な気持ちを聞かせて!」
「こんなこと言ったら、先生は怒るかなぁ?なーんて、考えないで!
思ったままでないと、意味ないから!」
なーんて、歯の浮くようなクソ縛りをかけてきます。
自由な発言を受け止める度量がある神先生の猿真似をしてるんです。
そして、目の付け所がシャープすぎて想定外な発言は
「うるさい」
「今はなし」
などとピシャリ。
受けつけられません。
「授業の最後は私のありがたぁい講話でシメる。
てめぇらゆめゆめ脱線させるなよ。
全力で忖度しろよ。
日頃から忖度しない奴は、手を挙げてるの一人だけの時も見て見ぬふりするからな」
「わかるだろ?同じ話読んで、これだけ受け取り方が違うんだ。バカの壁はバカ側からは超えられねんだ」
って正直にポリシー言ってくれたら納得感あるのにーって子もいます。
先生がそうなさらないのには意味があるんですよね、意図のあるなしは別として。
「自分の考えを、怖がらないで言って!」
って
「今夜は無礼講で」
っていう定型文と同じです。真に受けると、嫌な思いをするのよ。
「お近くにお越しの際は是非お立ち寄り下さい」
「妻/夫とは実質破綻してる。」
「もうすぐ離婚が成立する。君と結婚したい」
あたりと同じですわね。このあたり学校で教えるわけにいかないじゃん?ご家庭で、大人のお作法と言いますか、機微に触れさせてほしいところです。
ええっ、子ども相手に忖度教えるとか、正気??
そこまでいう必要ある?
と思われるでしょうか。
個人的には、正しい情報にこだわって正面衝突する傾向があるならば、転ばぬ先の杖として持たせてあげたい知恵のひとつです、忖度。
ピュアな子は、同じパターンの落とし穴にズボズボはまり続けます。
杖を持たせてあげれば、落ちる回数を減らし、落ち着きの中で世渡りの訓練ができるのです。
*超得意科目もクソ授業クソ縛り
得意な科目も、楽しめるとは限りません。
「わかってても、わからなくて悩んでいる、という演技をする時間です。
授業後半から、わかるようになってきたかも!という演技をする授業に変わります。授業の最後は、先生のお陰で真っ暗だったボクの私の世界に知恵の光が灯りました、という表情をして見せる、演技の集大成をするときです」
「君が自分の意見を言えるのはよくわかった。答えを出すことについてはほぼ免許皆伝じゃ。ここでさらなる飛躍のために、わかってても答えを言わない練習してこい。まわりが答えに気付けるようにする役を果たすのじゃ。シュートやアタックだけ上手い奴はいくらでもいるが、ニーズはそんなにないんだ。」
こういったライフハック仮説を、耳に入れてあげてほしいと思います。公立高校入試では内申を求められますが、このテクニックを小学校の道徳からステップアップさせておくと
「テストも提出物もばっちりなのに5が取れない」
という事態はだいたい防げます。
*ゲスなライフハックに救われる未来がある
このような、
ゲスなライフハックをお子さんと考えてみてください。
謎過ぎて怖い学校ならば、一部種明かしをして、
「そうだったのか~(笑)」と笑えるお化け屋敷にしてしまいましょう!
メンタルはバランスが大切。
学校が怖くなくなると、
家で負荷をかけてもけっこう大丈夫。
仮説:お勉強は、家か塾。学校は「世渡り」を身に付けるところ。
このように分けて考えると、捗ります。
*いつ教えるか
ゲスなライフハック、いつ教え始めるか
私は過保護寄りですので、
できれば入学前に教えてあげてほしいとは思いますが、
グサグサに傷ついてからでも、なんとか間に合うと思います。
始めないよりは、ましです。
当方、記事数200を超えており
しかも長文エントリーが多いですが、
どうぞ読んでいらしてくださいね。
そして
できればお子さんはじめ
当事者の方にも読んでいただきたいなと思っています。
*1:うちのご利用者さん界隈は、授業の最初に絶対的真理を口走る系も多数。おばちゃんもそういう子だったんだよ…。
あれはアカンと今ならおばちゃんもわかる、先生の計画を台無しにしてしまう行為なのだから。先生、焦りとショックでチビッちゃうからね。しかし当時は正しいことを言うのが正義だと思い込んでいて、わからなかったよ…。