- 異文化を尊重する
- 学校文化のお作法
- 留学生モード、おすすめです。
- 叱られる作法とは
- 意味がわからないから混乱する
- 叱られ下手な子あるある!
- みんながみんな感情的になりすぎ
- 叱責シーンを、落ち着いて眺める機会を!
- トイレにおもちゃを詰めてしまった例「なんでこんなことしたんだ!!!」
- 感情文化圏でそんなリアクションしたら?!!!
- ストレスからやらかし、やらかすからストレス増える!それでも「絶対もうしません」が言えない
- ストレス下で反省したことは忘れます。
異文化を尊重する
環境により、お作法が異なることを教えましょう。
群れにはお作法があります。
担任率いる群れにも、担任のお作法や美学という名のご都合があります。
どんなに野蛮なお作法でも、無視しますと、余計なストレスが生まれます。
そのストレスのせいで、さらなるやらかしが生まれます。
外国人が日本の温泉で水着着て泳いでいたら……?
日本人が外国のスパで、スッパダカで寛いでいたら……?
そりゃまずい、白い目で見られて針のむしろでしょう。
現地の文化を尊重すべきだよ、と、わかりますよね。
そうなのです、郷に入っては、郷に従え。
大事です。
学校では、学校の文化を尊重しましょう。
すごい馬鹿馬鹿しい?
確かに、無駄が多くて理不尽に思うのもわかります。
でもね、たとえば首狩り族から何か学ぼうと思うなら、
文化を知って、首狩りされない方法を身に付けてから訪れるべきなんですよ。
学校文化のお作法
学校には、表ルールと裏ルールがあります。
表ルールは「みんな仲良く」とか「学校は楽しいところ」
「人権第一、いじめダメ。ゼッタイ。思いやり大事」「先生大好き!」「日頃の行いが良いので晴れました」みたいなアレです。
よーするに、綺麗事ね。
唱えた1秒後には反故にされかねない、それが表ルール。
これとは対照的に、
裏ルールは、生物の根源に関わることが多数。つまり本能的ロジックです。ロジックとして教わることはないですが、密かに厳格に運用されています(笑)
誰も教えてくれないですよ、社会では本能を隠して生きる建前になってますから。
人権より強者強権強い群れによる秩序重視ィィィ!
事実よりも感情重視ィィ!
数はパワーッッ!
先生は偉い って設定にしておくッッ!
廊下は、優等生や地味な子が走っても叱られないッッ!
学び合い授業は内容ガバガバなので家でフォローするけど学校には内緒ォォ!(抜け駆けの禁止)
こういった、裏ルール、裏お作法、
ほとんどブレないです。
これが東京通勤圏公立学校の…否、サピエンスの現実ではないでしょうか。
ちょっと挙げただけでも、馬鹿げていますね!
でもね。
学校に通うかぎりは、尊重しましょう。学校文化における裏ルール、裏お作法を。
それがたとえ、自分の価値観に反していても、です。
進化心理学でも、サピエンスの多くが、群れることや抜け駆けを許さないことで遺伝子をつないできたことが示唆されています。
「我が子には絶対的正義を通させたい。孤立無援でも悪に立ち向かうべき」
って親御さん、いらっしゃいませんよね……?
綺麗事を全否定しろとまでは申しませんが、お子さんの政治力、組織力を鑑みてから教えるべきです。本能丸出しの群れに、たったひとりで抗うとか自殺行為ですってば。
留学生モード、おすすめです。
「あなたは学校教という謎の宗教団体に潜入しているような立場かもしれないね」と伝えてみることがあります。
馬鹿げていますね🤣
しかし、お子さんのメンタルは明らかに穏やかになります。
また、この考え方を身に付けておくと、将来留学や海外赴任したときなどminorityとして過ごすとき、カルチャーショックが軽くて済みます
。
異文化受け入れ側としても対応力アップします。
必ず身に付けてほしいお作法がいくつかありますが、
なかでも、「叱られるお作法」は、特に重要です。
叱られる作法とは
先生に呼ばれて叱られる……イメージわきますか?
あれ、先生の感情を煽らず、なだめ、最小限の時間で最大限の「反省してます感」を言葉と態度で伝える儀式です。
加害者役と被害者役がいる場合は、加害者役は、先生のなかにある結論を推察し述べるかたちで尋問されます。事実を述べると叱られることがあるのはこのためです。
「……ということだな」と言う先生の言葉を遮らずに ハイ ごめんなさい と言えると、たとえやってもいない悪さを認めることとなり罪が増えるはずのときでも、なぜか時短になります。
つまり、罪の重さや事実関係よりも、反省や改善の約束よりも、叱る側と被害者役の感情をなだめることがなにより大切です。
先生としては、
「ごめんなさい、もうしません、絶対」
「なんでこんなことをしてしまったのか……本当にごめんなさい、二度としません、誓います」がそれらしく引き出せればすぐに持ち場に戻れて、いらいらせずに済みます。
先生激昂ケースは激減します。
しかし、おわびワードと態度を引き出さねばならぬ!と思い込んでいる先生(ほとんど全員)は苦労してます。
被害者役は、いかにも弱々しい子やアピール上手な子が多く務めます。許そうが許すまいが、いいよ、で笑顔でふんわり握手、みたいな、これまた難度高い儀式に参加させられています。
意味がわからないから混乱する
学校文化では当たり前の叱られ儀式。
表向き「反省」を求められていますが、実際必要なのは相手の感情をなだめる言動。
論理的な子は、モヤモヤするに決まってるんですよ。
モヤモヤしすぎて、自分のこと、棚に上げちゃうの~
しかも
・先生が感情的になりやすい
・実地体験ばかりで、ロジカルな説明がない
・本人が第三者となり見て学ぶことは期待できない
・回数が多い
・やらかしっ子の叱られる姿を繰り返し見ることになるクラスメイトが「あいつは叱られて当然」「あいつを批判するのは正義」と思い込むことがある
・繊細なクラスメイトが、エスカレートする叱られシーンを怖がって登校拒否したりする
などなど、自分やまわりにモヤモヤ材料を大量に与える関係で、多方面から精神的な圧力を加えられます。
そして、納得できない状態から抜け出せなくなります。
実地においては、強すぎるストレスがかかっていて、情報の取捨選択に必要な空きスペース(ワーキングメモリ)が不足し、「怖かった、嫌だった」などの感覚しか残らないので、本来するべき振り返りと課題設定が行えません。
叱られ下手な子あるある!
学校お作法に反する言動
・「なんでこんなことをしたの!」と叱られて、自分の問題行動の背景・原因を述べてしまう。コナンくんばりに
・叱られているときに、あらぬ方向を見てしまう
・叱られているとき、ムッとした顔してしまう
・脳がフル稼働→疲弊→あくび
・叱る人や、被害者・証言者(仮)を睨む
・○○ちゃんだってやってたのに!
・納得できないと謝らない
・もう絶対しません、と言えない
・お叱りが一段落したとき、ふてくされた挙動をする
・「もういい!!」とキレた先生を見て「わーい!さよならー」と立ち去ろうとする
などなど……。
これらは「素直なストレス反応」なのですが、大多数の大人のメンタルの火に燃料を注いでしまうのです。
多くの子は、適宜自分を偽り、素直な反応を隠せるようになります。
そうして、かたくなに自分を保ち続けようとする叱られっ子は、ますます「なぜか自分ばかり叱られる」と思い込んで、さらなるストレスを背負い込みます。
みんながみんな感情的になりすぎ
繰り返しになりますが、
多くの小学校は、感情文化圏です。
(ヒトは群れると群れのリーダーやメンバーの感情を重視する本能があたたまるようです。先生たち、そして園の先生、クラスメイトの母親たちも、ロジック<エモーションなタイプの文系が圧倒的多数派であることとも関係があると思います。知らんけど)
学校のお作法が身に付きやすい子は、感情語が母国語の子。生まれつき、身に付けやすいです。または、過剰適応です。
叱責シーンを、落ち着いて眺める機会を!
クラスナンバーワンのやらかしっ子にはなかなか「謝るシーンを真面目に、冷静に見る」機会がありません。
身に付けるために、おうちでシミュレーションしましょう。
「叱られ方は、叱られていないときに学ぶ」これ、大原則です!
感情文化圏と、論理文化圏では、「なんでこんなことしたの!」「もういい!知らない!」という言葉に返すべきリアクションが全く異なります。
トイレにおもちゃを詰めてしまった例「なんでこんなことしたんだ!!!」
論理文化圏においては、「なぜ……だと思いますか」は、指摘された言動について、背景、原因を導くトリガーワードです。
「はい!
トイレに物が詰まると大変だと聞いたので、どんなふうに大変なのか知りたくなりました!そこで!何かを詰めて検証しようと思いました。
トイレットペーパーは溶けやすいし色がわかりにくいので、折り紙を流してみました、1枚では足りないと思い、たくさん入れて、水を(中略)ドヤッ」
そんなやつ居ないだろと思われました?実話です。
こんなの毎回やらかされて毎回聞かされて、その都度うわこいつ面白れ~な~!と思ってくれる先生は、レアです。(っていうかお仲間か仙人なので、楽しい学校生活になるでしょう。
お子さんにとってイージーモードすぎるので、おうちでがっつり負荷かけてください。)
感情文化圏でそんなリアクションしたら?!!!
言い訳するな!言い訳になっていないぞ!、と感情語で叱られるでしょうね。
それぞれの文化や状況に応じて、求められているリアクションをセレクトすることが必要です。
「自分で考えろ!」と言われても考えるには脳の余力が必要なので、平時に、叱られ方をインストールしましょう。
論理文化圏の子(=屁理屈ばかりの子)には、感情への対処法を、ロジカルに、効果が感じられるように、教えてあげましょう。
なんでこんなことをしたんだ!!と言う人が求めているのはなにか、を、パターン学習しておくことで、状況に合わせて瞬間的に反応できるようになります。
ならなかったらごめんね!
しょんぼりして謝って、許しを乞うて、
許さない!!なんでやった!?としつこく聞かれてもやらかした理由は聞かれていないと思え、
ひたすら、今度から気を付ける、もう2度としないのバリエーションにして、
1日健気かつ神妙にしていなさい、たとえ自分が悪いと思わなくても。
先生の立場や状況、あなたの演技力によって、許すか許さないか決めますが、このときの許す許さないということには深い意味があるわけではないのでとりあえず気にせず、お作法通り演技。
事実よりも、心証。
もう2度としないという言葉がないと、お小言を終われない縛りがある。
2度としないなんて約束できないと思うかもしれないが、感情文化圏では事実よりも他者感情を優先したほうが生きやすい。
ここでは先生の感情を優先し、お小言を終わらせるためのキーワードをお作法通りに示そうね
叱られながら反省してホントに二度とやらかさなくなれば理想ではあるけど
まぁ、この年齢ではなかなか、まだ難しいから。私だって、出来たり出来なかったりだし」
などと教えてみましょう。
おうちで何度もシミュレーションしましょう。
もちろん、先生役をお子さんがやることも大切な経験です。
愛されキャラコースかエジソンコースかで愛されキャラを選ぶなら、「感情文化圏における叱られ方」を体得させるための労力を惜しまないでください。
さもなくば、
論理文化圏に軸足のある子は、いつもどこでも叱られストレススパイラルに陥ります。
ストレスからやらかし、やらかすからストレス増える!それでも「絶対もうしません」が言えない
……あるあるです。
なぜなら
理系の価値観では、絶対ナイ、2度とナイという言葉はとても慎重に扱うべきであり、0.00000000001パーセントでも可能性があるならば絶対ナイと言うべきでない!ということを生まれつき身に付けやすいのです。
物心つく前から辞書語を重視する子、つまりASD傾向のある子は、感情語も辞書語として解釈しようとしてしまうため、地獄の釜で茹でられるよりも苦痛なようです。
美徳にもなりうる「正しいことへのこだわり」が、自他に突き刺さる剣になってしまっているわけです。
是非、「文化圏によって、言葉の定義は異なる」という原則を伝え、感情文化圏で使える脳内辞書を作っていってください。
ストレス下で反省したことは忘れます。
まさに怒りの嵐の中では、叱られる作法を用いて、心を守りましょう!
ポーズ・演技を、事実や反省よりも優先しましょう!
ストレスの嵐が去ってから、家族の大人などと共に改善策を見いだすのです。
ずるいようでいて、実は、いちばんよい反省の仕方です。
では、どうやってそれを、かたくなな子に、怒りの嵐をやりすごす叱られ方を仕込めるのでしょうか?
これは、ケースバイケースです。
お子さんのため、 一緒に考えましょう。
ご相談お待ちしています。
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