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もしかして発達グレー研究所~凸凹ハートの幸せを考えるブログ by QOLT

なじめない、生きにくい。そんな子達の青い鳥ドコー?志村!後ろ後ろ!

育てているのは本当に自己肯定感ですか?3


続きです。前回はこちら
*1

が、ちょっと自己肯定感についておさらい付き合ってくださいね。

ほめられすぎで鬱リスクが上がる?!

一般に自己肯定感と呼ばれている自意識。
発達ケア界隈にとどまらず、大人気の概念です。やたら強調され、重視されるようになりました。

ところが、アスペなおばちゃんが成分分析しますと
ほめほめ療育もいいんだけどちょっとバランス、どうなの、って思います。


「自己肯定感を身に付けさせよう!」
という働きかけが大流行していますが、多くの場合実際育っているのは、主として自己効力感なのでは?と思います
(自己有用感などとも言います)。


狭義の自己肯定感とは、
「生きていていいんだ」
「ありのままでOK」
「自分は自然の一部であり、 全ては巡りめぐるんだ」
といった感覚です。無意識のことも多いですね。意識した方がいいんですけども。

この「狭義の自己肯定感」と、一般的な自己肯定感に多分に含まれる自己効力感は、とてもよく似ています。
しかし、お子さんに及ぼす影響はかなり異なります。

その違いを意識しないままですと、ついつい自己効力感ばかり育ててしまいまして。


自己効力感とは「出来た!わかった!」「愛されている!認められている!」といった自意識です。
自らを励まし、奮い立たせる力に直に繋がります。
(例えに出すと嫌われるから書きたくないけど書いてしまうと、エジソンやアインシュタインなどの偉人は、狭義の自己肯定感は生まれつき身に付きにくいタイプで、強い自己効力感を後天的に身に付けて精神を守っていました。)


ところが、人間の自己実現には、限界があります。
進学、就職、加齢に伴う万能感の喪失など、何らかのダウナーな経験により、自己効力感はぽっきり折れて消えます。

この「いける!できる!愛されてる!」から「できない」のギャップこそが、「生きてる価値があるのだろうか…生きる意味がわからない」という重い鬱病を招いているのではという視点は、あまりにも知られていません。


自己効力感の急落は、鬱の引き金のひとつです。
そもそも「飲んで食べて寝ること」が人生の意味だと思い込むことができれば、悩まずにすむのに、なまじほめて育てられて、その興奮を記憶し続けてしまうものですから、人生が無味乾燥に思えたり、実りのないものに思えてしまうのです。



自己効力感暴落直前のピーク値-暴落後の自己効力感の値、この数値が大きいほど、復調が難しくなります。


カウンセラーなど知識のある方々でも、ここは「ほめれば狭義の自己肯定感がついてくる!」と信じている楽観的な方、
「狭義の自己肯定感はねんねの赤ちゃん時代までに確立されてしまっている、あるいは赤ちゃん返り中にしかチャンスがない」というスタンスの方、さまざまです。
消せない過去の古傷をえぐるべきではないとして敢えて言及しないプロも多いです。

いや、まぁね、
確かに、発達と定型って語学や文化とすっごく似ていますから、
定型語と発達語のバイリンガルになるには、一般的には、子供時代からのほうが身に付きやすい傾向あるようですけれども。

ある程度育ってしまってからのほうが定着しやすいタイプたくさんいらっしゃいますよ。
本人が必要性を感じ、記憶力と論理性を活かせば、身に付くはずです。

手遅れだとして諦めるのは、論外。


持続可能な達成感で不適応を防ぎましょう

本題です(やっとですすみません)。

・お墓参りする。
神社や教会、お寺等でお参りする。
*2
森で深呼吸する。
動植物、時計、靴、思い出の品など世話をし、愛で続ける。
海や川(水)を見る。
勉強する。
掃除する(し続ける)。
恋をする。
ボランティアする。
感謝する。
ほめる。
尊敬する。

こういった「ステージちょっと上がる系の行為」を「やった!出来た!」と思うのは、もちろんわるいことではないですが、それだけでは、持続可能性に難があります。

少しずつ自己効力感優位、つまり鬱になりやすい精神に傾きます。
だって、頑張れば頑張るほど、頑張れなくなったとき、例えばお寺に行けなくなったら、ボランティアできなくなったら、生きる意味を見失って、落ち込んでしまいますもの。
これではいつもの自己肯定感(効用感)アゲと同じ、短期的な効果しかないですよね。


私が強調したいのは、上記のようなことをナイスな行動だと認めると共に、

・良い行動をする人に敬意を払う。(イイネ!をする)
・自分も他人も、出来なくてもOK。だめな人を批判するとき、自分のメンタルも知らず知らずに弱っていきます
・自分は認められなくてもOK!他人のことは認め、敬意と感謝にこじつける!
とすることです。

自分と直接利害関係があるとなかなか難しいですが、ダメなひとのいいところをこじつけて探すのは、わりと、おすすめです。

「醜い行いをする者は、自らの徳を地に落としてまでも、その行為が醜いことだと他者に知らしめ、戒めてくれている…尊い存在であり、感謝せずにいられない!」
なんて、心のなかで、上から目線で善人ぶるくせをつけると、ぶつかり合いや葛藤が減り、余計なストレスが減り、マウントされてもどーでもよくなります。

単なる達成感やほめられること、感謝されることの喜びは麻薬みたいなとこありますけど、
感謝すること、ほめることは持続可能だと言えるんじゃないかな。
つまり、ほめたり感謝したりして気分よくなるスキルは、狭義の自己肯定感とほぼ同じだとみなしてもいいかもしれません。

誉めるメリット、受けとるのは子ども?それとも?

こうしてみると、
発達支援の現場で、狭義の自己肯定感を得られるのは、「ほめる」「感謝する」をさせてもらえる支援者、ということになります。
これね、おばちゃんの実感なのですが。


ほめて伸ばす発達支援の人や、習い事の先生がなんかすごくイキイキしてたりしませんか?
これって、人をひたすら認め、ほめているからなのかも?と思います。

脳は、自分が他者に向けている感情なのか、自分が他者に向けている感情なのか、判別しないそうです。

他者をほめたら、脳に対しては自分がほめられるのと同じ効果があります。
他者に同意すれば、自分が同意・共感されているときの脳と同じような状態になるのだと言います。


逆に、他者を憎むとき、それは自己を憎悪しているときの脳の状態と変わらないのです。


なるほど、定型寄りの人たちは、やたら相手に共感しあっている。
本能的に、脳を気分よくさせ合うクセを持ってるんですね。
まぁその分、共感不足にものすごく弱いわけで、定型は定型でたいへんそうですけどね。



さて、
我々まわりの大人、 無自覚にほめほめ療育してると、
「こんなん、ほめていられるか!!! 」
と投げ出したくなるか、
だんだん本人の改善からかけ離れていき、ほめてほめて、自分が気持ちよくなっちゃう、のどっちか。
自己有用感自己効力感の増大は、承認欲求の肥大同様に、社会的評価の極化を招きます。


どうすればいいのでしょうね。
今、認めていいのかなー、この子、 自己効力感優位に傾きかけてるよね、あまり持ち上げちゃうと、思春期以降の鬱症状が怖いよね、ってときあります。

かわいくてほめたくて認めたくてたまらなくなるのですが、そうすると、自己効力感ばかり育ててしまうことになりかねないので……。

発達凸凹勢は、近年は、(他害がなければ)支援=全方位ほめに近くなってきていて……せっかく身に付けさせた広義の自己肯定感が、メンタルを蝕んでしまうのではないかと危惧しています。

ほめ療育は進歩します

そこで、お子さん自身が、支援者のような立場、つまり、人をほめて敬愛する経験を練習できるよう、居場所(人間関係)を設定してあげてほしいと思います。

尊敬できるひとに出会わせる、これ素敵ですね。
*3

自分の持つ承認の価値を高め、人を認め、ほめる……そのメリットデメリット、感じさせてあげることで、まあ理想の完全無欠の自己肯定感ではありませんが、承認欲求の暴走で人生棒に振る、というような悲劇を防げるのではないでしょうか。


とりとめもない記事、読んでくださりありがとうございます。
お考え、ご依頼などありましたら、コメント欄から教えてくださいね。


お悩みや不安は、思考を狭める毒です。ところが、視点を変えると、幸せを増幅するちからにもなります。

悩んだ分だけ必ず幸せになれる、なんてあまっちょろいことは言いませんが、お子さんの幸せのために悩む親御さんの尊い思い、無駄にさせませんよ。

noudeka.com

*1:noudeka.com

*2:こういった行動を、あー心が落ち着くなぁよいものだなぁという刷り込みができそうならば、しておきましょう。 厄介な宗教にはまらなくて済むかもしれませんし…… あ、いや、なにが厄介とかはないですけど……。

*3:高知能の子を、高学歴勢に会わせるのはよく皆さんやってますが、バランス大事です! 学校行かなくなってもなれる分野のお仕事のなかにも、素敵なお仕事あるので。バランス考えて、接点を持たせてあげてほしいです。


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