「この子が発達障害じゃないかって?昔はこんな子いくらでもいたし、ちゃんと成長していたよ。心配しすぎ。そんな心配性だと成長を阻害するよ云々」
と言われたこと、ありませんか。
誰に相談すればよいのかわからず、家族にも相談できなくて、モヤモヤしますよね。
口に出さないまでも
「発達障害(のほとんど)は、甘え」
「発達障害は手の施しようがない」
と考えている人は少なくないです。
「障害の度合いが強ければ手の施しようがない。そうでなければ、昔は、誰しもクリアできていたこと。現代でもクリアできるはず。クリアできないのは、本人か親の甘え」
という信念を持つ人に対して、我が子は発達障害で、環境によっては能力を発揮できるんです!!と主張したところで疲弊するだけですね。
なぜ、昔はフツー、現代では障害扱い、なんてことが起きたのでしょうか。
「昔は問題なく成長した」。
その理由を紐解けば、現代、発達凸凹に苦しむ人たちに役立つのではないかと思い、批判覚悟で書いてみます。
昔、という言葉が含む時代は様々すぎて、曖昧なのですが、人類の歴史の中では、現代が特殊中の特殊。
ただし便宜上、平成令和の前までをおおまかに昔、と表現します。
「昔は自然淘汰があった。」
「昔は特性があってもスルーされ、思春期以降に今一般に言う二次障害が出て初めて発覚した。長らく母子問題というカテゴリで論じられていたため、母親は外に向かって支援を求めることができなかった」
「昔は命の危険を感じる機会があり、それによって脳の凸の角が取れたために凹が目立たなくなった(小さくまとまった)。」
この3つの視点は、発達凸凹のお子さん育てのヒントになるのではないかと思います。
続きます。