発達凸凹の大きな子を、一人残らず無事に、現代の都市生活の中で、凸を潰さずに輝かせたまま自立した大人に育てるということは、当たり前にできることではない、ということを書いて参りました。
・昔は、複数の子どもが、親の期待する役割を分担できた。
実際には分担でなく、投げ出すことになっても、後ろめたさが少なくて済んだというのは大きいです。
「自分の役割ではない」「きょうだいの誰かが継ぐだろう」と、責務を投げ出すことが比較的簡単でした。
現在
現在は、ひとりひとりが親の全期待を背負っていることが多いです(一人っ子でなくても、です)。
全期待とは、以下のようなものです。
健康に生まれ、乳幼児期から同級生に見劣りせず、よく笑いよく寝てよく食べて、好き嫌いなし。
小学校では、運動も勉強もそこそこ以上でいじめもせずいじめられもせずリーダー役もフォロワー役もこなす。
マナーよく、靴も揃えてお片付けも家事手伝いもできる。
思春期以降は、お友達も恋人も実家も大切にする人気者で、青春を謳歌して、余計なお金かからずにそれなりの大学行く。
留年せず大企業で安定的に活躍する立派な大人になる。
ちょうどいい頃合いに結婚して家庭築く。
人並みに幸せで人生に満足する。
親に心配かけず、感謝してくれる。
このように書けばお分かりいただけると思います、一人で背負えるものではありません。無理です、夢物語です。
昔はね、子どもがたくさんいて、4-5人で分担してたんです。
アホだけど優しい子
性格ひねくれてるけど金儲けできる子
知能高くていい大学行く子
元気だけが取り柄で孫産む子
みたいに、分かれてたんです。
自立も自活も結婚もできなかったアカンタレなので親と同居し、老親と暮らす子
みたいにね。
バランスに恵まれた逸材でも、上記のような親の幸せ項目を全て満たすのは難しいです。
子どもの幸せを願うあまりに、このような無謀なこだわりを押し付けているかもしれません。
夢は夢としてそっと横に置きましょう。
人には、出来ることも、出来ないことも、あります。