ほとんどのいじめには双方向性がある~ドラえもんに見るいじめ観から - もしかして発達グレー研究所~凸凹ハートの幸せを考えるブログ by QOLT
正義感でいじめを語ると悲劇が起こる
いじめる側親子と学校に非があり、いじめられる側の親子には非がない、とするのが、いじめに関する「正しい見解」のようにされています。
テレビなどマスコミは、いじめられた子が自殺して裁判になって、なおかつ他に目欲しいニュースがないタイミングであれば初めてニュースにします。
「かわいそうに」「悪者が悪い」「大人は何をしていたのか!救えたのではないか」と思いたくていじめ自殺のニュースを見る人に忖度して、マスコミも基本的に「死者に鞭を打たない」ということを正義として、視聴者のニーズに応えます。
失意の中で亡くなった子どもを案じ、弔い、親御さんの無念さに寄り添うお気持ちは美しいですし、それが日本人らしい優しさだとも思います。
さすがの私もそんな中で「でもさぁいじめられっ子が一方的な正義みたいな風潮はどうなの」とは申しません。
ドラえもんの登場人物と人間関係
「ドラえもん」に照らし合わせてみましょう。
ジャイアンとスネ夫の言動
ジャイアンとスネ夫は、しばしばのび太を煽り、バカにし、除け者にし、物を取り上げ、時には殴って服従させようとしています。
コロコロコミックや小学生等への連載当時の価値観はともかくとしまして、2018年現在の文部科学省下その他教育機関の表向きのスタンスは「相手が嫌だと思ったらいじめ」というものです。
ジャイアンたちの言動は、現在の基準に照らし合わせると、歴としたいじめであり、のび太はいじめられているということになります。
のび太はジャイアンスネ夫に賠償請求できるのか?
では、客観的で現実的な立場にある読者のみなさんは、どのようにお考えでしょうか。
「ジャイアンとスネ夫は、野比親子に精神的かつ肉体的な損害を与えたことについて、謝罪と反省をし、賠償もしくは転校すべきだ。学校と教師、教育委員会は、重大ないじめを看過した責任を認めるべきだ」
というご意見でしょうか?
「のび太とその親には改善すべき点は、一切ないでしょうか。」
「ジャイアンとスネ夫が言動を改め二度とのび太と接点を持たないと約束させるべき、さもなければジャイアンとスネ夫が転校するべき、と思われるでしょうか」
と問えば、Noというお答えが多くなるのではないかしら?
のび太と野比家は無策すぎる
客観的に見て「のび太とその親は、自助努力が圧倒的に足りていない」と感じる方もいらっしゃるはず。
小学校四年生にして、
・健康上、経済的問題、家庭の事情などの理由なく、頻回の遅刻をする
・宿題しない(させない)
・テストは0点
・出来ないことに対する努力を一切せず、ズルする、すぐ泣く
・同級生男子に対するマウンティング行為(「そんなのぼくだってできるよ!」)根拠のない威嚇や強気発言(「ドラえもんに頼むからいい」)
・未来のおもちゃを見せびらかす
・同級生女子に対する下心、性的な視線
・不潔(フケで遊ぶ、鼻水を垂らして泣く、鼻くそを飛ばす)。
・野比夫妻は、問題を抱えた子の放課後生活を、無責任な他人(ロボット)に丸投げし、ほぼ放置状態にしている
発達上の不具合があるとしても、これは……これだけ秩序を乱せば…嫌われてしまうのはやむを得ないような……。
他者がどうとらえるかは他者に委ねられています。
「のび太のおかげで多様性が学べてよかったなぁ♥」と思ってほしくても叶いません。
ジャイアンスネ夫の改心を促すのは愚策
ジャイアンスネ夫の社会性、衝動性、排他性は、当然、改善するのが筋です。
しかし、のび太親子は「いじめられたくないならば」最大限、のび太側でいじめられないための工夫や努力もするのが得策です。
その上で相手に要求するならまだしも、のび太自身ありのままでいて、親が腐心してジャイアンスネ夫の言動を改善させたところで、一時しのぎにすぎません。
のび太が変わらなければ、必ず行き詰まります。
なぜなら、
今たまたまジャイアンとスネ夫がいじめているだけで、
のび太の いじめ引き寄せ力はほぼ普遍的と言えるからです。
のび太親子には、自衛、自助の精神が圧倒的に足りていません。
野比玉子さんは「親には無理」と思っているのかもしれません、しかし、学校や友達にはもっと無理です。介入すべきだと自覚したほうがいいです。
のび太がのび太のまま野放しであるならば、周りに違和感や不快感を与えるでしょう。
まわりがやんわり距離を置こうとしても、しつこくのび太が付きまとってきたとしたら、強めの拒絶や排除もされて然るべきでしょう。
親か教師が熱心な学校、お金持ち向けの学校、レベルが均質すぎる進学校、底無し沼な底辺校、など、それぞれ背景は異なりますが、学校というのは基本的に高ストレス環境です。
たとえそこにジャイアンとスネ夫がいなくても、悪意を呼び込む属性(あるいは悪意を受け取りやすい属性)を解除しない限り、平穏には暮らせません。
悪意を呼び込む属性を解除すれば、いじめられるリスクは激減します。
悪意を呼び込む属性や妄信的なピュアさを持ったまま、
集団に属させるのは愚行です。
ありのままだとか、叱らないで育てることが取り沙汰されてますが、真に受けていいタイプと、そうでないタイプがいます。後者にとってはリスクです。
車の運転技術が壊滅的な人が首都高を走るようなものです。
あるいは、ナンバーが1の高級ベンツに法定速度厳守のひょろひょろ若造が美人な彼女乗せて名古屋やなんばをうろつくとか。
そりゃ怖い思いするでしょうよ…生きた心地しないでしょうよ…
もちろん煽り運転は厳しく罰せられるべきですよ。しかしね、わざわざ流れを乱し、煽られに行くほうにも、課題があります。
非がないにしても、危機回避行動を取るよう促すべきだと思います。
いじめられる側は悪くないという考え方が、主流です。
のび太は、悪いか悪くないかで言えば、悪くない、というご意見には、一理も二理もあると思います。
でも、いじめのターゲットになりにくくする・ターゲットになっても大丈夫なようにする、という「守備」を放棄しすぎではありませんか。
このことは、悪いか悪くないかの話とは別に考えたほうが、子供のためだと思うのです。
我が子がいじめられてると知った親は、慌てふためき、子を守るため戦おうとします。
感情的になり、長期的な視野を保てなくなります。
いじめっ子を反省させるためと称して、一時的にダメージを与えることや、効力のない、かえって憎しみを植え付ける空虚な謝罪・賠償等にこだわります。
すると、どうなるでしょうか。
まともな周囲からも
「いじめは気の毒だけど、訴訟だのなんだの言い出すのはさすがにどうなの」
「ちょっとねぇ。やり過ぎよね…怖~関わりたくないね」
と受け取られるのです。表向きは好意的に見てくれる人が増えますが、裏では「あの子は親がめんどくさいから、関わるな」
と静かな腫れ物扱いが始まるだけなのです。
子供時代に同級生から本気で接してもらえなくなることは、コミュニケーションを学ぶ過程において、莫大な機会損失となることのリスクがあわてている親御さんにはわからなくなるのです。
いじめと弁護士
いじめ保険が発売されていますが、正直なところ、気休めでしかないと思います。気休めにもならないかな。
まともな弁護士は、いじめ裁判を引き受けません。被害を受けた子の心の傷が余計深くなり、生涯陰を落とすことになると知っているからです。
あるいは、引き受けるとしても、着手金で満足します。
勝ちにいこうとする弁護士は、示談に持ち込めるか、または裁判にするか、要するにどれだけお金を引き出せるかしか考えていません。
「謝罪と賠償と引き換えに、被害児が失うものとその影響」まで考えてあげられるのは、親だけです。
引っ越せばいいと思うかもしれませんが、裁判すると、住所もさらされますよ。
いじめは、防ぐものです。防ぎきれなければ、逃げるものです。もし真っ向から戦って勝てるなら、最初からいじめられやしません。
相手はサバイバルに長けているのです。
当方はとても親切な弁護士事務所と提携していますが、いじめ裁判はおすすめしていません。
弁護士がついていますよ、と匂わせることは、いじめっ子の親に話せば、すごいスピードで近所の噂になります。
「めんどくさい親子、関わりたくない親子」
という認識をいじめっ子とその親にだけ持たせるということは簡単ではありません。
慎重になるようにお伝えしています。
続きます。
https://www.asdadhd.jp/entry/2018/06/12/のび太を客観視してみると