スネ夫の立場はさらに深刻!
スネ夫の家庭環境がもたらす圧倒的劣等感
理想の高いスネ夫。おそらく自分自身の中に真に誇れるものはありません。
彼は背が低いことに悩んでいます。
学校の成績は良くなくて、スポーツでも目立った活躍はありません。
人気者で人格者で優秀な弟(アメリカ在住のスネツグ君)や、憧れの従兄弟を持つと同時に、身内における劣等感にさいなまれています。
勝ち組両親の大きくて重い期待にも、日々苦しんでいます。
豪華なおやつに表れる母親の愛さえも、広すぎる家さえも、時には重く感じています。
誇大し虚飾した自分の話をします。嘘をつきます。
親を悲しませないために、そして自分を騙すために。
…以上が事実かはわかりませんが、スネ夫の、実家における自己肯定感は低いか、この先先細ることは想像に難くありません。
家を出ても、苦しみばかりです。
ラジコン等おもちゃで楽しく遊んでいたら、ジャイアンに取られてしまいます。
涙をこぼしながらも、身を守るため我欲を捨て、献上するというスタンスを取ります。
自己肯定感の低いスネ夫は、ほかにあまり友達がいません。
ジャイアンに依存しなければ孤独です。
スネ夫は、孤独な存在は狙われやすいということを知っています。
スネ夫の立場で、好きでもないのび太をかばえる子がどれだけいるでしょうか?
ジャイアンの暴力の前に、ひとり敢然と立ち向かうのは、美しいけれども、無謀です。
親の望む我が子像
多くのお母様方は
「野蛮ないじめ加害者から、かわいそうな被害者を助けてあげる勇気ある第三者」に憧れて、いじめを見たらやめさせなさいねーなどと我が子を諭すでしょう。
実際に我が子がトラブルに巻き込まれたときには手のひらを返したように
「人なんか助けないでいいのに!自分を守ってほしかった!」
と思うようです。
本音はどちらなのでしょう?
スネ夫は、親の本音を、見抜いているのではないでしょうか?
のび太におもちゃを貸さない理由
スネ夫の物は、「お前のものは俺のもの。」というジャイアン名言にもあるように事実上ジャイアンの支配下にあるわけです。
スネ夫はのび太に貸してと言われても拒むほかありません。
スネ夫は、ジャイアンの機嫌を損ねないための言動しか選びようがない立場です。
ひとたび機嫌を損ねたら、ラジコンは二度と戻ってこないのですから!
貸さない理由はそれだけではありません。
貸したおもちゃをのび太に壊されたことが何度もあるのです。
また壊すかもしれない不器用な人に、壊されたくないおもちゃを貸すべきでしょうか?
のび太側にはそもそも重大な問題があります。
高価なおもちゃを貸してもらってまた壊したら、野比家が弁償するのが筋でしょう。
弁償しているのならば、壊されるのわかっててうちの子に貸すほうもどーなの??と野比玉子さんモヤモヤするのではないですか?
おもちゃを貸さないということは、いじわるかもしれません。
しかし、いじわるである以前に、お互いの利益を損なわないための、危機管理手段でもあるのです!
見せびらかすのはよくない、それは確かにそうですが、遊び場所が限られている以上、やむを得ないと思います。
スネ夫がのび太におもちゃを貸さないのは、いじわるでもいじめでもなんでもありません。
合理的な判断だと私は思います。
スネ夫が貸してくれない、いじわるだ!とのび太は言います。
が、のび太は、のび太が主張するような「加害者と被害者が可分な対人トラブル」ではなく、「双方向性のある対人トラブル」の中にいます。
自己の客観視が足りないことに起因する、過剰な被害意識が入っていることを指摘せずにいられません。
のび太による嫌がらせ
ジャイアンにおもちゃを取られる。
のび太には貸さない。
ここで終わればまだましです。
妬んだのび太がひみつ道具を持ち出し見せびらかすことにより、またスネ夫の世界はボロボロになります。
おもちゃを貢いでまで守った親分の機嫌は悪くなるわ、おもちゃは引き立て役になるわで最悪の展開となります。
スネ夫の精神は、崩壊寸前でも不思議はありません。
ずるくてもいい、「適応」しよう
スネ夫は、ずるいずるいと言われます。
確かに、ギリギリの精神状態の中で、耐え、生き抜く知恵を駆使している姿や、裕福な家に生まれ育ったことは、のび太やジャイアンの立ち位置や、読者という安全な場所から見て、「ずるい」と感じられるのは無理もありません。
でも、スネ夫の立場を思えば、精神的に崩壊してもおかしくない状況です。
彼のずるさは「環境適応」によるもので、閉鎖された人間関係における悪意から逃れるための最終奥義です。
環境に適応せず高潔なまま精神崩壊するよりは、現実的な危機回避反応です。
情状酌量の余地がたっぷりあると思います。
私はずるさを正当化するつもりはないので、語弊があるかもしれませんが、
無意識にいじめっ子タイプを刺激してしまう子やパワハラを受けてしまう人は、
「長いものに巻かれる」というスネ夫的な知恵を見習うことも生きる知恵だと思います。。
総括
・のび太が無意識に行う加害行為
・ジャイアンの日常を取り巻く閉塞感
・スネ夫の背負うプレッシャーの重さ
・保護者による教育の放棄
・ジャイアンスネ夫の自己を支える知恵と工夫と努力と粗暴な言動
などなど、第三者の立ち位置から見知ることや想像しうることには、限りがあります。
だからこそ、いじめを、加害者被害者が最初からきっちり分かれているかのように簡単に語る風潮には大きな疑問を感じます。
ここではドラえもんを例にしましたが、いじめの中には、ある程度お互い様なのに、のび太のような被害妄想多めな側だけが被害を主張しているというケースが含まれています。
また、正論を押し付けることを善行だと思い込む親子や、高い能力/低い能力を何気なく見せることを問題ないと思い込んでいる親子がいじめに苦しむケースも増えていく気がします。
「うちの子は全く非がないのに」
「私は普通にしているだけなのにいじめられている」
と思いがちです。
確かに、理想の集団においては、善行によって悪行が駆逐されますし、逆に多様な価値観を認め合う間柄であれば、ちびまる子ちゃんに出てくるミスター正論・丸尾くんタイプでも、経済力と美貌と性格に恵まれ過ぎた花輪くんタイプでも、受け入れられるでしょう。
しかし、
たとえ正論でも、押し付ければ排除されます。
溢れんばかりの前向きパワーも、敬遠されます。
丸尾くんだって、かなり煙たがられていますよね?
花輪くんだって、あんなに愛情に溢れた紳士なのに浮きがち。
じいがたしなめなければ、そして、じいがもてなさなければ、友達なんて出来ません。(本人は気にしないでしょうが)
ちびまる子のクラスは担任も穏やかで、プレッシャーやストレスが少なく、また多様性があるためにターゲットを絞りにくいので、
いじめになりません。
が、それでも、変わってる子がありのままで集団にいるのはリスクです。
ダメージ受けないのは卓越した能力者か、妬みやうざがられる感覚を感じないメンタルモンスターのみです。
こちらは正しいことをしているだけ。変わる必要はない。とするいじめ被害者親御さんは、理想を追い求めて出口のない地獄に迷いこむので気を付けてください。
相手を矯正することで環境を調整することは確かに理想ですが、 親が理想や正しさにこだわっていると、トラブルは収まりません。
仮にその時点のトラブルからは守りきれたとしても、お子さんは特殊環境でしか生き延びられない人になってしまいかねません。
我が子が永沢くんや野沢さん、藤木くんタイプならばむしろ即刻スネ夫化させるべきと言っても過言ではありません。
優等生丸尾くんやみぎわさん、富裕層花輪くんタイプは、
いじめられる筋合いはない!と親としては思いがちですが、
正論、格差は、排除の元です。
排除のネタを自ら提供しているということを謙虚に自覚したほうが身のためです。
スネ夫は下らないプライドを捨てられる男です。
敢然と、そして賢く、いじめに立ち向かっています。
ほんのちょっとでもいいので、彼の背負った哀しみを知ろうとすれば、
のび太も四畳半島に連れていってもらえただろうと思います。
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