- 承認という価値
- 人は承認を求めている
- 承認欲求が肥大化する現代
- 価値観が近い人の承認は、精度と質が高い
- 承認すると、承認されやすくなる!
- 承認をばらまく
- 少しの偽装で幸せは作れる~相互承認供給システム
- 精度の高い承認供給者が、食糧を供給する者よりも重視されてしまう
- ちょっと待って!承認欲求満たしすぎはNG!
価値観が近い人がいい。
……って言うけど、なんで?というお話です。
承認という価値
承認ってなんでしょう。
ポジティブな承認の例は、ほめる、共感する、受け入れる、許す、OKする…
ほかにもいろいろあります。
たとえばうなずく、微笑む、挨拶、目を合わせる、一緒に過ごす、一緒にトイレに行く、同じ物に価値を見出す(おすすめのマンガを読む、同じチームを応援する等)というのも広義の承認です。
(広義では、叱る、怒る、悪口を言うというネガティブな行為も、相手に興味があるからこそであり承認のひとつだと言えます。複雑になるので、ここでは、ポジティブな承認の話を中心にします。)
人は承認を求めている
承認により、強い幸福感を得ます。
価値観の近い人同士は、互いに価値を理解しやすく、効率のよい承認供給源となりやすいです。
同じ「かわいい」でも、価値観の近い人から言われる場合と、
悪趣味だなぁとと思って見下している人から言われる場合では、どうでしょうか。
感じとる承認の価値、違いませんか?
承認欲求が肥大化する現代
生存欲求を満たすために群れを作り、まとまっていたヒト。
しかしいつしか人はそれぞれ、生きること、子孫を残すこと以外に関心を抱くようになりました。
価値観の多様化により、不都合が生じてきました。
価値観共有のプロセスが煩雑化したのです。
価値観の多様化は、群れにとっては不都合です。
社会通念やその場の空気と呼ばれる仮想の共有価値観が求められ、暗黙の了解と呼ばれるようになりました。
暗黙のままに、設定を承認し合い、仮想的に共有し合うことで、群れにとっての不都合の緩和がなされたのです。
こうして、本来であれば承認がなくても生きられる時代にあっても、ますます承認し合って当然、承認されて当然の社会の土壌が出来上がったのです。
価値観が近い人の承認は、精度と質が高い
ヒトは古来群れて生きる生物です。
高度に進化した脳であっても、群れたいという生存本能が消えたわけではありません。
価値観の近い他者による承認は、本能レベルで、精神的ストレス(孤独感)を下げてくれます。
価値観の近い人は、自分の考え方や趣味嗜好を認めてくれる確率と頻度が、価値観のかけ離れた人よりも高いのです。
承認すると、承認されやすくなる!
「しかしおばちゃんさん、私なんかを承認してくれる人いない…」
そう!気を付けてほしい点があります。
精度の高い承認がほしい人は、与えるときにも精度の高い承認にこだわってしまいがちです。
「とりたててほめるほどではない」
「自分なんかに雑に承認された相手は不愉快ではないだろうか」
などと遠慮してしまうなどして、承認を人に与える頻度が極端に低くなってしまう傾向があります。
こうして、承認が不足すればするほど精度にこだわり、承認不足のスパイラルに陥ります。
このスパイラルは、逆回しにすると、逆に承認がっつりスパイラルになります。
承認をばらまく
雑でもいいので毒のない承認のばらまき方と、自分の価値を上げる方法を知れば、承認不足に陥ることはほぼなくなると言えます。
誉め上手でなくても、感謝を持ち接することができたら、毒のない承認を与えることができます。
また、局所的な市場価値も無視できない要素です。
見た目が重視される界隈では、見目麗しい人の
「かわいい!」
には、見目麗しくないもっさりした子の
「かわいい!」
よりも価値が高いと感じる人が多いですし、
恐竜発掘のちからが重視される界隈では、発掘の達人の「すごいのみつけたね」
はものすごく価値が高いのです。
裏を返せば、価値観が合わない環境では、素のままありのままでは、どうしても承認不足になりやすいのです。しかしそんな環境でも感謝する行為はとても有効です。承認の中でも感謝は一番汎用性が高いです。
ギャルが、
「カワイイー」「マジでー」「ウザー」「ヤバくねー」「キモー」といった少ない語彙で、雑な共感、雑な承認、雑な連帯感を相互に与え合いまくって仲間を増やす様子は、
語彙が豊富だったり感じ方が独創的だったりする子達が抱える孤独感と、極めて対照的です。
数はパワーだと、本能に導かれた多数派は、承認には、数を求めます。
緻密でまれな精度の高い承認にこだわる人よりも、雑で日常的な承認を求めている人の割合の方が高いので、相互に承認を与え合う関係として適しているのは
「毒のない承認をばらまく、なおかつ価値が高い人」
です。
少しの偽装で幸せは作れる~相互承認供給システム
相手に承認を与えてみましょう。おっと、承認を与えるには、相手に合わせた資格が必要ですよ。顔も洗わず歯も磨かずに人を承認できるのは赤ちゃんだけです。
さて、何が起こるでしょうか。
1.
相手の価値が(相手と自分にとって)上がります。
↓
2.
相手から承認され返す可能性が格段に上がります(ほめあう、承認し合う、というのは生存戦略として本能的に備えている人が多いです)。
↓
3.
1の前後で相手の価値は(自分の中で)上がっているので、先に自分が与えた承認よりも価値の高い承認がもたらされます。
お墨付きをつけあう、株を買い支え合うかんじです。
高頻度、しかも相互で行うことが肝心です(不登校中は、学校の友達に承認を与えるのは難しい)。
肥大する一方の承認欲求であっても、相互にじゅうぶん満たされ続けることができます。
価値観の近い人は、この理由により、
承認欲求を満たしてくれやすいのです。
「価値観の近い人と接するとよい」とよく言われるのは、
恐らくこのためでしょう。
あ、ごめんなさい
おばちゃんが勝手にそう思ってるだけかも。
まあそういう仮定で行くよ!
精度の高い承認供給者が、食糧を供給する者よりも重視されてしまう
他者に認めてもらえた、共有できた、と感じるとき、承認欲求が満たされます。
承認欲求はわりとやっかいです。生存欲求過剰満足の時代においては、生存欲求の代わりに増大していく傾向があるからです。
生きている限り、付き合わねばならぬ病みたいなところがあります。
価値観の近い人と過ごすと、お互いに肯定的な承認を与え合うために、承認の価値が高まり、承認欲求が満たされます。
そして、欲求不満がもたらす精神的ストレスを緩和することができます。
精神的ストレスが緩和されると、脳コンピュータのメモリが解放され、心に(脳にも)余力ができます。
こうして、発達障害とみなされる不具合が緩和されることはよくあります。ただし環境が変わるたびに意識して承認供給システム構築をする必要があります。
多くの子どもは、思春期前後、親や支援者などに庇護されるだけの状態に満足しなくなります。
そして、同世代の、価値観の近い者を求め始めます。
(※ASDは、体に思春期と心の思春期の時期がずれることがあると言われています)
これは、相互承認供給システム、そして、巣立ち準備、つまり自分の役割を巣の外に本能的に求めての行動です。
発達凸凹当事者が十分に幼いときは、親御さんや、支援者と呼ばれる役割の人は、ほめなどにより承認し、導くことができます。
そのとき発達凸凹本人は、どうしても
「やってもらう側、お世話になる側」
で意識固定しがちです。
お世話される、感謝する、承認される、という側は、言い換えれば、相手を肯定的に承認する(「ありがとう」を言う、など)という大切な役割を果たしているので、卑屈になる必要はないはずです。
しかし、相互承認システムの仕組みを教わり、納得して認識できるようになるまでは、
「ありがとうと言わされる、下の立場」と思い込むことがよくあります。
上から目線で見下されている、あるいは申し訳ない、不甲斐ない、という負の感情ばかりが蓄積されてしまいがちです。
価値観が近い者との関わりでは、相手も、自分と同じ形での承認を求めているのが明確です。
「同意!」「だよね!」「わかりみ~」「それな!」「いいね!」
などのやりとりを通して、自分も相手も互いの承認者という重要な役割を、あっさりと務め上げることができますし、
喜びも実感しやすいのです。
この
「相手を承認する役割」
を果たしたくて、子どもたちは、成長に従って、 上から目線と感じる支援者、理解者よりも、
「価値観の近い者」
を求めるようになるのです。
ちょっと待って!承認欲求満たしすぎはNG!
承認欲求が満たされると、確かに一時的には賢者モードとなり、トラブルが減ります。
しかし、接する時間が長くなりすぎたり、利害が一致しなくなったりしますと、価値観が近いがゆえのトラブルが起こります。
無意識のうちに相互に比較してしまい、片方が劣等感をこじらせることもしばしばあります。
他者承認によって承認欲求を満たし続けるのは、悪いことではありません。しかしそれが持続可能かと言うと、難しいです。
お腹いっぱい食べるようなものですからね。
どちらも間違いなく強い幸福感は得られのですが、長期的に見ますと、心身の健康に悪影響を及ぼしかねません。
ペットロスやサピロスなどの
「○○ロス」
なんていうのは、まさに、相互承認が立ち行かなくなったときに起きますからね。
価値観が近い人と関わっていれば大丈夫、というほど承認欲求問題はシンプルではないです。
でも、でも、やっぱり、価値観の近い人とのひとときはやはり、苦しいときには救いになりますよ。
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