こんにちは、もしかして発達グレー研究所 ただのおばちゃんです。
- 基本的信頼が意欲を支えるという一般論
- 意欲が減衰するのはなぜなのか
- 意欲を失わせないために~意欲の源は愛着形成だけではない
- 自己肯定感を身に付け損なったこどものためにできること
- 手に入れられなかった愛着と自己肯定感に代わるパワー
- うちは愛着形成完璧、と思っても気を付けて!
- 親の老化はチャンス
- 子供が親を好きでいるうちに弱味を見せろ!
- 使えない夫の存在意義
- 他者比較も、使いよう
- ダメ親になろう
久しぶりに学校へ。
時の流れは大人の体力を低下させますが、代わりに子どもたちを大きく強くさせますね。
基本的信頼が意欲を支えるという一般論
長期安定した自己肯定感を子供にもたらすことのうち、親にできる最も大切なもののひとつが「愛着形成」であるとされています。
社会通念上ね。親の愛情により基本的信頼が育まれるだのなんだの、やたらめったら神聖視されてます。社会通念上ね。
佐々木正美先生は、基本的信頼と根拠のない自信は同じもので、素敵だとおっしゃっています。おばちゃんは、親が子供に与えるとされるそれらは、知る世界が狭く単一であることに基づく幼児性万能感にすぎず、異なる価値観との軋轢や視野の広がりによって瓦解して呆然とするケースが多いので過信禁物と考えてますです。
意欲が減衰するのはなぜなのか
幼児期は、「見たい」「寝返りをしたい」「立って歩きたい」など、健全な意欲がありますよね(※例外もちろんあり)。
生まれて数年は、ほぼほぼ全員、いかにも健全な意欲を持っています。
ハイハイで追いかけてくる、転びそうになりながらも立とうとする…そんな意欲の塊だったのに。いつ、なぜ、どのようにして、失われてしまうのでしょうか。
はっきりとはわかりませんが、意欲を失ったとされる子を分析しますと、学習性無力感、誤学習、負のフィードバック等と言われる悪循環に飲み込まれていることが多いです。
「課題をやっても出来るようにならない
「覚えても忘れる」
→やりたがらなくなる
→親が無理矢理やらせる
→出来るようにならない
→課題も親も、嫌いになる
→やらなくなる。学んだことは、親は無価値ということだけ
「成功に価値がある」
と認識している脳は、思考が荒ぶるとなぜか
「失敗には価値がない」
という考え方に至ります。
頑張っても上手くいかないと、
「うまくいかないから無駄、無駄だからやりたくない」
と思考します。このように、無意識下、意識下いずれかの思考の結果として、偏りが偏りを強めていくという現象が起きます。
雑な推論ですが、意欲はこのようにして失われるのではないかと仮説を立ててみます。
では、意欲を失わせないためには、どうすればよいのでしょうか。
意欲を失わせないために~意欲の源は愛着形成だけではない
子にとって、時に愛着形成以上の効果がありながら、明言されたことのないイベントがあります。
「親を超える」というイベントです。
親を超える、親よりマシになるという生物としての圧倒的多幸感。これ、愛着形成した者の幸福感よりむしろ強いのです。
親を超えるということは、世代交代による進化を目指す生物に、最上級の充足感をもたらします。
守ってくれた素敵な親を超えることが子供にとって幸福なのはもちろん、
実は
「○したいほど憎かった親より、ちょっとはマシな大人」
になることも、将来お子さんにとって、とっても強い心の支えになります。
いいところまるでなし、愛着形成大失敗、自己肯定感何それ美味しいの、のボロボロ人生であったとしても、「親を超えた」という単位さえ取れば、人生の荒波を乗り切る力につなげられるんじゃないか、と思っています。
おばちゃんの主観に過ぎないですけども、恐らく、非常にプラスのインパクトある体験です。
自己肯定感を身に付け損なったこどものためにできること
愛着形成には臨界期があるとされています。
不登校などで専門家に相談すると、愛着形成して自己肯定感を育みましょう!といわれることもあります。
実際には、思春期以降の愛着形成のやり直しは、なかなか難しいようです。
発達障害傾向の方は思春期以降25ぐらいまでは場合により愛着の再形成が可能なこともあるのですが、誰にでも期待できることではありません。
低栄養状態、低身長のままで骨端線が閉じてしまったみたいなものだとさえ言う専門家もいます。
手に入れられなかった愛着と自己肯定感に代わるパワー
これは、親御さんにしか与えることができません。
親御さんのスペックのなかで、どこか一ヶ所以上、お子さんによる超えどころを用意してあげてください。
親も失敗して、謙虚に反省して、改善努力したり、努力できなかったり、
ぐちゃぐちゃになってやっぱりだめなときってあるんだよ、
でも生きてたらいいことあったよ、ってところを、わざとらしくなく、でもわかりやすく、見せつけてください。
人間は完璧じゃない、迷惑かけずに死ねる人なんていない、
お互いにやむを得ず迷惑かけ合って生きていくってことを許さなかったら苦しくなった
って、さりげなく、押し付けがましくなく、入力してください。
どうやっても超えようがないような、エクストリームなご両親もゼロではありませんね。あれは人間のふりをした神か、宇宙怪獣。
神や宇宙怪獣の化身でなければ、どこかにアンバランスなところがあって、補いどころ、支えどころがあるはずです。
これをお読みの親御さんが、どこも超えさせようがないエクストリームな親御さんであれば、お子さんや子孫のこと、一生庇護してあげて下さいよっ!
うちは愛着形成完璧、と思っても気を付けて!
親のスペックや子育て能力が高すぎる、いわゆる「絵にかいたような幸せな家庭」
で、しばしば親子トラブルが深刻化します。
これ、
「超えられないハイスペ親による再現性の低い理想的な家庭という記憶が呪いとなって、メンタル悪影響を及ぼしている」
と感じることがあります。
心当たりのある方はいらっしゃいませんか。お子さんが、ちょっと頑張れば超えられそうかもと思えるように、価値評価の基準を変えたり、増やしたりしておきましょう。
親の老化はチャンス
親御さん自身が「早めの引退モード」に入る手法があります。
親子関係が悪いと、ザマー見やがれ、となり逆効果。ですが、親子関係が良い状態のときに親御さんがエネルギーを失うと、それまで無気力だったりわがまま放題だったお子さんの中から、
「補いたい、助けたい」
という利他のモチベーションが湧いてくるということ、よくあります。
高慢なほどに虚勢を張るお子さんの場合はうまくいくかは一か八か、かな。
自らの価値を低く見積もり、世をはかなんでいるお子さんの場合、この手法がけっこうイケます。
子供が親を好きでいるうちに弱味を見せろ!
よその親よりも頑張らなくちゃ、だとか、
よそのママより綺麗でいなくちゃとか、そんなんほんと馬鹿馬鹿しい。やめましょう。
(あっ、でもビジュアルなど、クラスの保護者の中でビリにはならないようにした方がいいです。
ビジュアルビリは、無駄に損。工夫次第でなんとかなりますから!)
更年期かな、とか、老化したなと思ったら、ヨッシャ!てなもんです。
老化は、劣化と感じるでしょうが、劣化するからこそ、子どもに
「親を超える体験」
を経験させやすくなるという、素敵な副作用があります。
親の老化を知らせましょう。
うわぁ助かるよありがとうね、こういった言葉が、子供を操作するための大袈裟ではなくなったことがわかるように伝えましょう。
すると、親御さんのことを憎からず思いつつほめや感謝に反応せず冷ややかだったお子さんでも、さりげない感謝を、リアルな実感とともに受け取れるようになります。
使えない夫の存在意義
よく、夫/妻がほんと余計なことしか言わず、使えなくて、教育上毒でしかない、と嘆く方いらっしゃいます。
あまりにひどい場合は別ですが
「使えないほうの親」
は、
「超えさせ担当(俺の屍を越えてゆけ!の屍担当)」
にしてしまうのも手ですよ。
頑張り屋さんのママにはどうやってもかないそうもないけれど、
アカンタレなパパなら超えられるかも…みたいにね。
もちろん逆パターンもありますよね。
他者比較も、使いよう
おばちゃんは他者比較、下方比較、比較による勝ち負けの概念は、素敵な手段とは思っていません。
大手を振っておすすめすることはできません。
特に学校や、職場など、長期間付き合わねばならない集団内では、比較による優劣のジャッジはなるべく減らしたほうがいいと思います。
「下を見て安心してはいけない」
と、理知的な親御さんは何気なくお子さんに刷り込んでしまっています。
下を見て安心するということは、深刻なメンタル悪化を防ぐための大事なサバイバルスキルです。
使い方によって毒にも薬にもなりますがね。
○されかけたら○してしまえ、みたいなもので、最終手段の何手か手前の手法としてはとっても有効です。
「下方比較は下劣!」
と教え込まれてしまったがために、苦しくなるときってあります。
それよりは、清濁併せ飲む、の精神で、聡く利用して、うまく生き抜いてほしいと思います。
覚えておいていただければと思い、書きました。
ダメ親になろう
弱ってる親。
ダメダメな親。
親失格、人間失格、そう思い込んでいる親。
愛すべきダメ親の存在は、お子さんの未来を地味にしっかり支えてくれるでしょう。
反面教師からも学べるように誘導してくださいね。