私のお皿にお食事よそってくれたお二人共お嬢様亡くされて…落ち込みやすい方、立ち直りにくい方はどうか今回の記事は読まないでくださいね。軽い記事読んでいってね。
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思い出話お付き合いくださる方、ありがとうございます。
胸の痛む出来事がありました。
石原軍団のバーベキュー
深夜、目が覚めたら目に飛び込んできたのは、悲しすぎる知らせでした。
夏休みのたびにお世話になった方の、お嬢さま。
35歳、突然でした。
神田正輝さんと勝野洋さんをご存知ですか。
おばちゃんは昔々趣味事やってたのですが、そこのクラブ*1、なぜか当時石原プロとかバーニングプロダクションとコラボしてたんですよ。
神田正輝さんや勝野洋さん、舘ひろしさんたち石原プロとコラボしたバーベキュー、何回かごちそうになりました。
夏の終わりの恒例イベントみたいに記憶してます。1980年代、バブル期ですね。
神田さんは炭火で野菜を炒めていらっしゃいました。
「はーい焼けたよー」
「たくさん食べてね〜美味しいよ〜」
塩コショウの加減が絶妙で、あまり好きでないピーマンもすごく美味しかったのを覚えてます。
神田沙也加さんは1986年に生まれてるのですがお目にかかったことはなく、神田正輝さんは舘ひろしさんとかまわりの人たちに
「赤ちゃん生まれたのにこんなとこでこんなこと(バーベキュー)してていいの」
「沙也加ちゃん連れてくればいいのに」
なんて煽られていたのを覚えています。
神田さんは、笑顔を絶やさず紳士で、動き、立ち居振る舞いが美しく、マメで。
バドガールにも、子供にも、冴えないおじさんにも、完全にフラットに応対。完全無欠。あんな父親いたら他の男が霞んでしまって結婚できないのではないか………と幼心に思ったぐらいナイスなオジサマでした。
勝野洋さんは、もっとしょっちゅうお目にかかった記憶があります。よく厨房にいらっしゃって、趣味事に参加している子どもたちに食事をサーブしてくださってました。
勝野洋さんも異常にかっこいいおじさまでした。
あまりにも気さくすぎて、よく働くスタッフだなーと思っていたほど。(勝野さんが有名人だとわかったときには、浮いてた私と仲良くしてくれた姉弟のお父さんという認識になっており、気軽にお水くださーいとか頼んでしまった…なんつークソガキ…申し訳ない。)
キャシー中島さん、勝野七奈美ちゃん、雅奈恵ちゃん、洋輔くんも時々お会いしました。
眩しすぎるご家族でした。こじらせて陰キャしてた私は、最初は劣等感まみれでした。
でも、七奈美ちゃんが明るく巻き込んでくれて、おしゃべりしたりトランプやったり犬をかわいがったりして遊びました。
神田正輝さんと勝野洋さんは、とても仲良しで。男の友情のモデルケースみたいだな、と眺めていました。
私の父は…今思えば善人ですが、学歴フェチのアスペルガー風味で、母性もマメさも皆無でしたし、キレるとヤクザのように怖い人でしたし、趣味にも理解がなかったので、神田さん勝野さんはいいお父さんだなぁ羨ましいなぁと思っていました。
*2
勝野七奈美ちゃん。
発達障害グレーゾーンで空気読めない毒舌を繰り返し、友達から省かれて陰キャしていた私に、初対面からすごく明るくさりげなく気遣いをしてくれたのが、勝野さんの長女七奈美ちゃんでした。
ハワイのそよ風って勝野七奈美ちゃんみたいなかんじだろうな、って思いました。
私は趣味事を辞めてしまい、その後お会いすることはありませんでしたが、勝野七奈美ちゃんとのやりとりは、ひねくれてやさぐれてる発達障害二次障害風味の私の中でも、ほっこりしたいい思い出となっていました。
2003年ぐらいに、ネットで彼女の活動を知りました。ブログや記事を追いかけては、心の中で眩しく思ってました。
私は結婚して、出産して。
2008年にご結婚のときのキャシー中島さんの記事読んで、よかったなぁとほっこり思いました。
でも、寝ない、暴れる、発達とちくるってる子2人抱えて半狂乱になっていて、死にたいな、死んだら楽になれるのかな、なんて思うような状況でしたし、あんな素敵な子、私のことなど忘れているだろうしと、お祝いコメントつけずに去りました。
七奈美ちゃんは、翌年、肺の小細胞がんで亡くなられました。29歳、新婚旅行から帰って闘病4ヶ月、あっという間でした。愛するご家族と5年ぐらいお付き合いしてた新婚旦那さんに囲まれての旅立ちでした。
2021年12月18日神田沙也加さんご逝去
夜中に突然覚醒し、スマホを手繰り寄せて知りました。
勝野家に続き、神田家も、愛するお嬢様を亡くされるだなんて。勝野パパと神田正輝さんに焼いてもらったお肉をほおばっていた頃には、想像もできませんでした。
はっと思い出したのです。勝野七奈美ちゃんのことを。神田さんちの沙也加さんと、勝野七奈美ちゃんが、笑顔で一緒に歌っている天国を想像することが、私にとってのご冥福を祈ることでした。
朗らかな勝野七奈美ちゃんがいれば、そのまわりはハワイみたいになりましたから。おばちゃんハワイに行ったことないのですが、天国とハワイは似ていて、七奈美ちゃんの笑顔みたいな心地よいそよ風が吹いているのでしょうから。
サヨナラに強くなれ、この出会いに意味がある…私の好きな歌です。娘が最後のサピックスの帰り道、呟いた歌でもあります。
置いておきます。
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咲き誇り光り輝いていた彼女たちが突然天に召され、彼女たちにあらゆる面で大差で完敗していてかつて劣等感まみれだった私が、しぶとく幸せに生きているという…なんという皮肉でしょう。
アスペルガー症候群やうつ病気味の人の一部に熱狂的なファンがいる美輪明宏さんも、人生には正負の法則がある、おっしゃってましたね。ほどほどがいちばん、と。
今でこそのんきに幸せに暮らしている私ですが、子育てに苦悩しまくり、自殺か心中かと考えたことがあります(優柔不断でよかった…)。
またいつか大きな波に飲み込まれるときがまた来ると心づもりしておかなきゃなぁといつも思ってます。
今メンタルとってもお辛い方は、しばし平均回帰の波をお待ち下さいとお伝えしています。
辛いときは脳のキャパオーバーとなり、辛い気持ちを紛らわせるためのゆるさやテクニックを思い出せなくなるものです。
思い出せますように。
思い出させてくれる存在が、この時代にありますように。
おばちゃんも、微力ですがお手伝いできればと思います。
読んでくださりありがとうございました。
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よその子の成績や勉強内容なんて見るのやめて、おばちゃんブログ読んで幸せになってね。
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