6月15日配信しました発達障害の告知についてのPodcastです。(大事なところはブログに含まれない内容となりますご容赦ください)
「なぜ発達障害告知のゴールデンタイムは小4、小5と言われるのか」
から
「発達障害告知、その子にとってのゴールデンタイムはいつか」
など、よく聞かれる事柄について、ただのおばちゃん独自の見解を述べとります。
各podcastアプリでも、ChromeやSafariなどのブラウザでも、お聞きいただけます。anchor.fm
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大人の発達障害の方は、自分で病院を受診して、医師から直接聞くことになりますよね。なんなら行き着くとこまで行って、診断や薬がほしくて受診するわけで、シンプルっちゃシンプル。
お子さんの場合は複雑です。本人だけでなく、親御さんやきょうだい、まわりの親子が絡むの。
親御さんの心の奥に
「発達障害」
という言葉がしまい込まれていることも多いのです。支援を受けさせていたり薬を飲ませていても、です。
思慮深い親御さんたちは、いつ知らせるのかについて心を砕いています。
ところが。
どこからともなくお子さんの耳に入ってくることも、ままあります。おばちゃんは、あんまり情報統制に神経質になってもねーって思います。
もし、思春期の一番難しい時期に、大嫌いな人から
「お前なんか発達障害のくせに!」
といった煽り口調で知ることになったとしたら?
健全な自己イメージを描くのは、少し手こずりそうですよね。
発達障害はバラバラ、大人と子供もバラバラ
子どもの「発達障害」と大人の「発達障害」は、意味が一致しません。
子供は大人よりも伸びしろがあるケースが多いのです。たとえが適切かはわかりませんが、子供と大人の低身長ぐらいの違いがあると思っています。
一昔前の「発達障害」と現在の「発達障害」も意味が違います。
また、同じ時代でも、地域や自治体によって、診断する医師や支援者によっても、意味・重さがだいぶ違います。
ウサギとカメにおけるカメ型発達や、猛烈に追い上げてくる追い込み馬型発達であっても、発達障害(神経発達症)という診断をつける空気感が強まった昨今、発達障害に関する情報は氾濫し、錯綜しています。
*1
「発達障害」
「どうなる」
などというキーワードで出てくる情報や、専門家の警鐘には、発達障害という診断が今よりずっとずっと消極的だった時代の方々に関する事柄が大量に含まれています。
お子さんが、親以外の人に指摘されるなどして自分で情報を集めるとき、ついついセンセーショナルな情報を選好してしまう傾向も見られます。
しかし、それでは必要な情報にアプローチできません。
グレーゾーンと告知
グレーゾーンで定期的な受診を求められなかった子たちは、さらに告知(…っていうか、傾向と対策に関する情報共有)のタイミングが難しいです。
医師やカウンセラーから伝えるルートがないか、あっても知らせるかどうかは親御さんの胸先三寸に委ねられているケースが多いようです。
客観評価にはあまり意味がない
子どもの時点で発達障害かどうかの診断を付ける意図はいろいろです。
「客観的に見てどうなのか、知りたい」
「たくさんの症例を診てきた権威にすがりたい」
という親御さんのご意見はもっともです。
しかし、ぶっちゃけ、よその子とあなたのお子さんは、持って生まれたものも環境もモチベーションも伸びしろも別です。
専門家ったって、あなたのお子さんのことはそんなに詳しくないです。
なんとなくそれっぽいことしか言えません。
もちろん、おばちゃんも未来が見えるわけではないですが、生身の親子さんから受け取る情報って、統計によって情報化されたものよりもときに雄弁。
専門家と親御さんとの間では、お互い腹の探り合いが入り、踏み込んだ意見は言いにくいという側面もあります(思ったこと何でも言う衝動性抱えたままの医師やカウンセラーもいるっちゃいるけどさ)。
ガチモンのガチという揺るぎない確信があるのか。
頭いいせいで拗らせそうなのか。
コミュニティクラッシャー予備軍なのか。
現時点で一部遅れ/早すぎがあるっぽいね(≒多少ととのっていくとは思うけど保証できないから、伝えておくねあとは自己責任ね)ってことなのか。
全部のせっぽいのか。
はっきり言いつつ、合理的な解決策を提案できる医師やカウンセラーは、多くないでしょう。
そもそも専門家の半分以上はアスペ風味かADHD(爆)。断言が大嫌いだったり、影響考えずに断言しまくったり、言葉選びクッソ下手くそだったり、忖度しすぎたり…。
伝えるべきことをうまく伝えられるかどうかと、専門性の高さは、全く別物。
受け取り手のほうでしっかり心を防衛しながら聞く必要があります。
かといって、正解を求めてドクターショッピング続けると、これまた迷子になり、疲弊します。
さっさと相談しにおいで。所詮ただのおばちゃんだから、対等な立場で意見交換や議論ができるよ。
セカンドオピニオンどころか3-10以上の専門家やカウンセラーを渡り歩いた方も少なくない当所界隈ですが、
「こんなにスッキリ納得できたの初めてです!障害受容ともちょっと違って、視野が広くなりました。」
「サラリと言えて、子供もサラリと受け止めつつ大事なことは伝わってたみたいです。告知前より何もかもスムーズです!」
なんてお声も頂いています。
発達障害のまずいとこも、魅力も、知っていて、かつ、権威はない人との時間を通して、自身の発達凸凹を多角的に、柔軟に見られるようになるのです。
(その子にとって権威のある人に伝えてもらうのも悪くはないけど、ASDみがあると絶対正義と受け取りやすくて、柔軟な受け取り方ができないのよね。権威の言葉を後生大事に抱えちゃうの。我をエジソンだと思い込んだり、福祉に頼るべきと思い込んだり。頼った権威によってはマジ地獄よ)
告知はもっとカジュアルでいい説
告知という語感、重くない?
「子供の発達障害」
にはそぐわないんじゃないかなぁと常々思います。
おばちゃんも告白するとねぇ、子ども 発達障害 告知 失敗/成功/後悔/経験談 とか言葉入れると検索順位やたら上がるって聞くから書いてるだけでね。
告知や告知失敗を深刻に考えすぎなんだよね。
失敗はあり得るよ。でもだからこそもっとカジュアルでいいのよ。
そして、高知能なら、親御さんが思ってるよりも早いほうがいいです。詳しくはポッドキャストに譲ります。
カジュアルな告知とは
とはいえいきなりカジュアルって言われても…難しいよね〜。
たとえが下手で毎度ごめんねなんだけども、
「お父さんもドルオタ(アイドルオタク)だった」
「お母さん、バンギャ(ビジュアル系等バンドの追っかけ)だった」
「あなたを産むとき○○○も出た」
「パパ/ママが子供の頃みんなの前で大恥かいたシリーズ」
ぐらいのノリで、お子さんに知らせるといいと思うんだ*2
特性は、収まらないこともある、加速することもある、収まりがついていくこともある。
志向みたいなもの。
診断する人にもよるけど、見えてる面によって、子供の発達障害や発達障害グレーゾーンかどうかなんて変わる。
診断も、グレーゾーン的な傾向も、焼き印とか烙印みたいに思わないでほしいのよ、重くとらえすぎてる方にはね。
あ、軽視しすぎな親子さんのことは
「発達なめんなよ?ゴルァ」
って胸ぐらつかんでオラつくけどね(ウソです)、数ある発達障害ブログの中でおばちゃんの弱小ブログ読んでくれてる時点で、かなりの心配症だと自覚していい気がするわ。
しつこいけどね、烙印押せるほどEBM(evidence based medicine)確立されてるジャンルじゃないのよ発達障害って。
元々心身の健康に関する情報って、センセーショナルな情報ほど、よく読まれ、検索順位も高いの!
アクセスしやすい情報に触れると、思い悩みがちな親子さんは、どんどんしんどくなるのがデフォよ。ほんと気をつけて。
ネットで大人の発達障害や、一昔前の発達障害児の現在を検索しちゃうと、ほとんどの人に過剰な不安がもたらされますよ。
だって、左翼弁護士が無罪の数稼ぐために、お抱え精神科医連れてきて、凶悪犯罪者に診断付けるってとき、一番便利なのが発達障害なんだもの。客観的指標も受診歴も要らなくて、誰にでもあるような子供の頃のやらかしエピソードを盛ればいいだけだからね。
そうやってできた「発達障害者像」におびえて、過剰支援してたら本末転倒よ。
過ぎたるは及ばざるが如し。支援不足や無支援の害は声高に叫ばれてますが、過剰支援も、不可逆的な2次障害に向かう一因になり得ます。
過剰支援の問題にうすうす気付きつつ、地域によっては過剰支援が一大公共事業として後戻りできない規模になってしまっている。マクロで見ると支援不足も同時に起きてる。それが業界の現状。
過剰支援への警鐘を大きく鳴らせる専門家は、あまりいない。
グレーゾーン告知はまずグレーゾーンを楽しむことから
やらかしやとっちらかりだった親御さんはわりと告知もうまい。
ご自身が過剰適応寄り、優等生キャラだった親御さんは、告知≒社会的死の通告と思い込みやすい傾向を感じる。
おばちゃんとおしゃべりしてるとほどよくほぐれますよ。
厄介ではあるけど面白い個性としてなんだかんだうまく付き合って行ってほしいなーとお思いの親御さんなら、おばちゃんトークの視点がきっと役に立つでしょう。
よかったらポッドキャストも聞いていってね!