気になるニュースがありました。
私立女子中学校の教員が、発達障害のある子に対して、合った学校を考えた方がいいのではないかと述べたということで、生徒の保護者が告訴したという件です。
その場で見聞きしていたわけではないですし、
先生、お嬢様、保護者の心の中はわかりません。
客観的に見て辞退可能な提案だったのか、それとも拒否権のないパワハラ的詰りだったのかなど、誰にもわからないでしょう。
裁判というものは、当事者同士がたとえ問題としていなくても、
もめたら金になる、ということで、
悪徳な輩が後ろについて煽ることも多いので、
真に受けて尾木ママばりに断罪する気も起きません。
この件そのものに関しては述べません。
念のためリンクは貼っておきますが、
切れていたらごめんなさい
発達障害生徒に「合った学校考えたら」 発言教諭を告訴(朝日新聞) - goo ニュース
告訴する保護者は稀ですが、「もっと合う学校・教室があると思うよ、おうちの人に相談してご覧」という声掛けは、学校現場ではしばしば見かける定型文の一つです。
合う学校があると思うという段階で進言できずに、問題が深刻化してしまい、
「保育園からやり直して来い!!今!!行って来い!!」「もう学校来るな、バカの学校へ行け!!」なんて口走ってしまう教員もいます。
それでも、精神面のしなやかさと愛されキャラを重点的に身に付けるように親が関わり続けた子は、担任からは蛇蝎のごとく嫌われても、クラスで理解者が現れるなど、予後がいいように思います。
「合う学校があると思う」という言葉自体には落ち度はないと思うのです。
言い方や、生徒の精神状態などという、チェックのしようのない変数によって、
傷が深くなったのではないかと思うのです。
その変数の影響を最も少なくできるのは、
陽転思考、
語弊を恐れずに言えば「都合よく解釈する力」だと思います。