教師を信頼???
それ二次障害のリスクファクターですよ。
教師とて、不完全な人間。
たくさん間違うし嘘もつくし裏切るようなこともします。
たまにいいところがあれば認めてあげる、それぐらいがちょーど良いと思います。
信頼とは
信頼、とは何か。
おばちゃん、正直わかりません。
精神的に成熟した者同士の信頼関係は、
「相互に、好意的に受け取り、許容できる関係」
「相互に、思いのすれ違いや過ちを許し合える関係」
「相手の許しや承認がなかったときに、怒りや不満ではなく自省につなげようと思える関係(批判を受容し改善につなげよう、この人の意見ならば!と思える関係)」
と言えるでしょう。こんな信頼関係なんぼあってもいいですね。
でも。
未熟な信頼は薄汚い
信頼関係にも、いろいろあるのです。
未熟な心理や、未熟な者同士の信頼関係について考えてみます。
私見ですが、心の防御力の低い者、未熟者の信頼は
「裏切られた…」
「なぜこれぐらい許してくれないの?!」という気持ちとものすごく結び付きやすい気がします。
これって、かなり危険な思考のクセですよね。
「人を信頼できる人になってほしい」
「信頼される人になってほしい」
などという綺麗事が掲げられながら、未熟な集団においては、信頼こそが、
「信頼していたのに…」
という思い、つまり 侵害、搾取、失望、裏切られた等、絶望の源となるのです。
未熟な信頼は、すぐに絶望のタネになっていくのです。成熟した信頼とは性質が全く異なることを知るべきです。
「信頼関係とは許し合える関係だ」
とするならば、許されないことをより多く行う側にとって、やり放題となります。
相手からの信頼を試し放題し、
「許し」
を搾取するわけですからね。
このように、未熟な人間関係における信頼というのは、どちらにとっても全く美しくないしメリットも搾取側にしかないです。
片側が精神的に成熟していて寛容である場合は、
許されないことを行う側によって信頼関係は悪用されます。
逆に、純粋な信頼心を無自覚に搾取する「信頼を寄せられている人」もいます。
このような信頼から生まれるのは、裏切り、落胆、絶望。
あるいは、信頼の搾取という甘い汁を吸って調子に乗ってしまった状態です。
子どもや、被害妄想に陥りやすい人等、心の防御力が低い者の思い込む「信頼」は危険がいっぱいです。
成熟した健全な信頼関係に不可欠な、許容の双方向性や、批判の受容という前提を、確保できないのです。
信頼とは、強い力を持った美しい言葉として辞書に書かれています。
このような危うい一面を持っていることについて、大人たちはあまりに無自覚に、子どもたちに対して信頼云々口走っているのではないでしょうか。
信頼の持つ、精神破壊力は、絶大です。
信頼は、諸刃のエクスカリバーと言うべきでしょう。
さて、
担任の先生を思い出してください。
発達障害の子や未熟な子どもが信頼するに足るほどの人格者でしょうか?
続きます。
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