「正しいことをした子たちをほめる。(そうでない子をたしなめる)」
一見なんの問題もない指導ですね。
しかし、たしなめられたり、スルーされている子の気持ちを考えてみてください。
「問題ない」と言い切れるでしょうか。
言動を修正しない子は、
厳罰や叱責の対象となり続けます。
集団指導する側としても、言ってわからない、体罰はだめ、となると、手詰まりを感じるようです。
問題行動をスルーする、好ましい言動をほめまくる、というABA的な手法は、幼児期には効きます。
しかし、ほかの子たちが不公平感を抱くようになったら、使えなくなります。
本人も、大人が問題行動をスルーした意図を「見捨てたのだ」等と解釈するようにもなりますしね。
発達障害風味の発達凸凹さんに通じる言語は、定型語の体系とは似て非なるものです。
発達語(辞書的言語体系)を覚えるチャンスのない先生の言葉はいつまでも伝わらず、どこまでもヒートアップするのみ。
「さっきも言ったばかりなのに!聞いていないから悪い!」
とか、
クラスメイトの面前で強く叱責したあと
「みんなだって迷惑だって思ってるんだよ!だよね?ほら!みんなも迷惑だってよ!」
なんて大声出してしまうことも。
謝りなれていて、謝り上手な子ならばなんとかなるのです。
(※謝るのだけは上手い、口だけだという嫌われ方もしますが、断固として謝らない人よりはずっと憎まれにくいです、
断固として謝らない子よりは、へらへら謝る子の方が、まだ予後がましです)
言語の受け取り方にこだわりがある子、繊細な子などは、相手の変化(怒り)に混乱してしまい、とりあえず怒りを収めてもらうためのお作法で働きかけることができません。
……聞いていないから悪い、って言うけど!聞いてるよ!ムスッ
と読み取られやすい表情をしてしまいます。
社会通念上、話を聞く、というのは、先生のお気に入りの子に倣って姿勢正して表情作って先生の顔を見ながらうなづくことであったり、作り込んだ表情で先生の顔をチラチラ見ながらノートを取ることとか、聞いたことを適宜言動に落とし込むということだという意味を知らないのです。
……迷惑って、何が迷惑?授業中断?だったら迷惑かけてるのは先生なような…
……みんな…って、誰?ちなみに、あの女子も僕と同じことやってたけど、そっちは叱らないの?
生存本能の弱さか調節機能の遅れか、そもそも思考が深すぎるせいか。感情と表情を切り離せず、混乱を表情に出してしまうので、
「態度も悪い!」
となりがちです。
叱られないよう気を付けている子達からすると、
「そりゃあ、先生をあんなにヒートアップさせちゃダメでしょ」
「あの状況であの態度の悪さではねー」
となります。
そして、数日から数ヵ月で
「悪い奴は悪い扱いでいい」
「心を入れ換えるまで懲らしめなくてはならない」となります。
四面楚歌を防げ
発達障害風味の子のうち、要領がよくない子は、悪者扱いされやすいです。
抱えているストレスにも気付けず、前述のように、四六時中モヤモヤをしたままです。
親に言っても
「お前が悪さをしたからだろう」
とか、
「あなたは親に対してもそういうところあるから」
と、セカンド叱責くらいます。
親が担任に圧力かけてしまい、受け止めきれない担任のストレスが自分にぶつけられてしまうということも起こり得ます。
そこまで考えが及ばなくても、誰にも相談できずに抱え続けてしまったり、相談しても「そんなことできるわけない」と突っぱねて、言動をマシにすることができません。
人の迷惑?
「人の迷惑になることはやめよう」という指導は、幼児の通う園でも当たり前のこととして行われています。
素直な同級生たちは、自分だけでなく、気になる子のことも遠慮なく全力で罰します。
「みんなの迷惑になることは許されない」「悪い行動を正すまで、許してはいけない」と思っているからです。
そして、当たり前すぎて、わざわざ家庭で話すようなことではないと思っているふしがあります。
「今日も○くん怒られてたよ」
と言うぐらいです。
担任と子供達が一体となって一人を責め続ける指導が日常的に行われていることは、ほとんど外部に漏れません。
この状況は、発達凸凹のお子さんが独力で処理できる環境ではないです。孤立無援、四面楚歌、集団リンチ状態です。
集団リンチに加担すると気持ちいい
・担任という絶対強者主導で
・多勢を形成して
・少数派を断罪し
・連帯感、達成感を得る
経験を積んだ人たちは、「みんなで協力して悪いやつをこらしめた!」という快感を誤学習してしまいます。
彼らは、誤学習した結果(=味をしめて)、その後も独善的に排他的行動をするようになってしまいます。
生物学的に大人になっても、承認を得るためや身を守るための手段として、手放せなくなります。SNSもワイドショーも、悪を設定してますよね。
「みんなで悪を倒そう」という集団心理を煽ったほうが儲かりますからね。
自分と直接関係のないことにまで首を突っ込みポリコレ棒(ポリティカルコレクトネスに基づき、違反者を袋叩きにするための棒のことです)振り回しているのは、恐らく…。違ったらごめんなさいね。
多数派は、身を守るため、より大きな存在に自分を重ねることの大切さを学びます。
最終的に、硬い一枚岩を形成したいと強く願うようになります。それは、多数派の子達の、思考力判断力の発達を阻害することにもなります。
このとき同時に、定型社会用の社会性が凹の子が、ひっそりと犠牲になっているのです。
3に続きます。次の記事をご覧ください。
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