- 前々回と前回はこちら!
- 【ゆらぎ】を学ぶための共依存
- 真実はいつもひとつ、ではない!
- 「べき」という考え方は取り扱い注意!
- 同じ言語だけど意味が違う!
- 知らんけど、って言葉が入ってもいいぐらいゆるゆるなのになぜ〜すべきという強めの語感を持つ言葉を使うのはなぜ
- 何を言うかではなく、誰が言うか。
- サピエンスの生態を理解せよ
- 次、集団用語の基礎知識!同音異義語をハックせよ!
前々回と前回はこちら!
まわりの子たちはおそらくどんどん
「やんわり避ける技術」
を身に付けて行きます。
お子さん自身が嫌がられた理由や改善方法に気付くときには、みそっかす扱いとなり、孤立してしまっているでしょう。
時や出会いが解決してくれる可能性がないわけではないです。
ただ、ひとえに、私のわがままです。
私の文を読んでくださる方、私の支援に共鳴してくださる方の子育てを、時任せ出会い任せにしたくないんです。
あなたの遺伝子を継いだお子さんは、私にとって、いや、日本にとっても、お宝です。
うちのクライアントさんや読者さんをママファーにしたくないんです。
おばちゃんのわがままにお付き合いくださり本当にありがとうございます。
【ゆらぎ】を学ぶための共依存
逆境にいる発達障害グレーゾーン児は、理解しようとしてくれるお仲間系の大人に依存しがちです。
この依存力、利用しない手はないです。
適切な思考や挙動を選ぶノウハウごと取り入れさせるには、依存なしでは難度爆上げです。
必要性に迫られたとき、依存先の大人からわかりやすく教われば、コミュニケーションをはじめとする、【ゆらぎ】の解明にドハマリさせることができます。
低学年で【ゆらぎ】の存在を知るに至ったアスペルガーは、小中高と十分な試行錯誤の機会を得ます。
すると人間関係というゆらぎを闇雲に恐れて逃げる必要がなくなり、
「この【ゆらぎ(波長)】は自分にとって適応可能かどうか」
という判断が的確になります。
ゆらぎの要素を抜きに生きることは困難ですが、ナチュラルボーンアスペルガーは、ゆらぎを受け容れ、付き合うことが不得意です。
故に生きづらさを感じるようになります。
厳密には、謎を解明するだけの力はあるのです。
しかし、ナチュラルボーンのままですと、【ゆらぎ】を受け入れなんだかんだ楽しむことの大切さを知る機会が不足するのです。
そして、揺るぎない正しさへのこだわりが極化していき、心理的柔軟さ獲得と適応の邪魔をします。
真実はいつもひとつ、ではない!
小学校文化は【ゆらぎの文化】そのもの、そう仮定してみるのもおすすめです。
「真実はいつもひとつ」
という思い込みを外すことにコストを割きましょう。
ゆらぎと共にあればあるほど、ゆらぎと距離を置くしかないと判断しがちです。
揺るぎない正しさにこだわる属性の者にとって、ゆらぎに関する知識なくゆらぎに触れることは苦痛となっていきます。
親子が共依存でいられるうちに、ゆらぎをたくさん体験し、よすがでもいいのでゆらぎ解明の緒を手渡してください(って、抽象的ですみません。具体的には、親御さんとお子さんの日常の風景に馴染む説明が必要です。個別にご相談ください)。
ASD風味、アスペルガー風味ならば、
「真実はいつもひとつ」
「間違えてはいけない」
という概念に飲み込まれていくであろうと仮定して良いです。
共依存を利用して、正しさへのこだわりのボリューム調整方法や、
【大いなるゆらぎや循環の中で生かされているという考え方と経験】
を補っていきましょう。
正しさへのこだわりは、場に応じて使いこなせば武器になり得ますし、【ゆらぎ】をラムダとして学んでいくにも必要です。正しさへのこだわりを捨てろなんて思いません。
ただ、鞘に納めておくべきときってあるよね。サイレンサーつけなきゃってときもあります。
状況を見る力や防御力が低いのに、強い武器を振り回すのは危険すぎます。
ゆらぎと折り合いをつける力を養いましょう。防御力と回復力を加速度的に上げてくれます。
…だからそれをどうすれば身に付くの、ってのは、個別の話になるんですが、無理矢理一般化するとすると………親御さん自身が、失敗をたくさんしてきたことや、正解のないことを模索してきたということを面白おかしく伝える…とかですかね。
依存は危険ってイメージありますけど、一生使える幸せ集めのノウハウを身につけることができます。危険だろうがなんだろうが、やったほうがいい。覚悟はいいか?おばちゃんはできてる。*1
「べき」という考え方は取り扱い注意!
発達障害児や発達グレー児に対して
「こうすべき、って文言見たら、薄目で読んでもいいかもしれん」
っておばちゃん言ってたな、と思い出してくれたら嬉しい。
お子さんの前で
「すべきでしょ!」
と言ったら、
「…べきって、意味たくさんあるんだよねー、命令とか義務とは限らない…むしろ、単なる願望の強調だったりもするし…」
などと言い添えてくれるとこれまた嬉しい*2
古文では、推量の助動詞「べし」の連体形。現代語では、
出典 wikipedia https://ja.m.wiktionary.org/wiki/%E3%81%B9%E3%81%97
言ってる方は、単なる強調ぐらいの感覚で口走ってることがほとんどよね。
発達障害風味の弱い子も、曖昧なまま受け取ってます。
だけど、アスペルガーの子は、
「べき」
と聞くと、命令や義務として受け取りがちなのよね。だから反発したり、過剰適応になったりします。
たとえば
「友達と仲良くするべき」
「苦手な人とは距離を取るべき」
こういった相反する言葉を時間差で聞いたとき、論理的整合性に極端に依存しているアスペルガー的な子の脳は混乱してしまいます。
混乱のもとになりやすい、べきべき言う人を苦手とするアスペルガーは多いです。
べきべき言ってしまったら、
「またべきべき言ってごめん!『べき』は、無自覚な強調を表すことがほとんどかなって…。全部のベキを義務とか命令と考えると辻褄が合わなくなるかも」
ぐらい言い添えてみましょう。
お子さんが、べきという言葉への違和感を減らせたら、べきべき人のことも過剰に苦手と思わなくて済むようになるでしょう。
同じ言語だけど意味が違う!
言葉って、アスペが思うよりも、意味を曖昧にしたままやり取りされてるのよね。同音異義語もたくさんあり、アスペルガーのメンタルはしばしばバグります。例は、次回挙げます。
言葉の選び方は大事だけど、受け取り方はあんまり解像度高くなくていいかもね。
「言葉に対する解像度が高すぎるとたいへんなこともあるらしい」
「世の中的には、言葉は大切!と言うけれど、受け取るときにわざと解像度を落としたほうがスムーズな場面もあるっぽい」
言葉に対して繊細すぎるお子さんであれば、こんなことを知らせておくのも吉。
ぶっちゃけ言葉尻に
「知らんけど」
を付けても、用を果たすことがけっこーあります。
「知らんけど」
「真実はいつもひとつ!!!知らんけど」
いかがでしょ。
(最近コナン履修したのでこればっかですまん。ビースティーズも履修したいんだけど、その前にも読まねばなら本だらけである。)
知らんけど、って言葉が入ってもいいぐらいゆるゆるなのになぜ〜すべきという強めの語感を持つ言葉を使うのはなぜ
なぜかって、けっこうな数の人が、自分の発言に、インパクトを持たせたいと思ってるからですよ。
群れを成している安心感に包まれていると、客観的根拠への希求が薄まります。群れの支持を得られればいいんだもんね。シンパの支持を得るには、根拠よりインパクトのほうが手っ取り早いみたいよ。
で、
「こうすべき」
「絶対」
「でなくてはならない」
「じゃないとダメ」
「こうしたら良い」
などなど、あの手この手で修飾、虚飾してます(他にもあると思うからお暇なら探してみてね)。
一方、いわゆるアスペルガーなど言葉に対して繊細なところがある方は、いろんな言葉に、約束や保証の意味をonして受け取っている…ってことがすごく多いのよ。
あ、衝動的な発言もするので言葉に繊細とは思われてないことも多いんだけどね。
たとえば
「絶対と言われたら、絶対」
「放課後遊ぼうと言われたら、放課後遊ぶという未来に関する確約」
とかね。(だから軽々しく「ごめんなさい、もうやりません」と言えない子がいるのよ)。
それから、なんたって言葉の重さは話者のパワーに依存します。
何を言うかではなく、誰が言うか。
発達障害グレーゾーンで、これにモヤったことない人いる??
集団において、支持者・ファンが多い人の言葉は過剰な価値が認められるのに、仲間の少ない子の言葉は、厳然たる事実でも軽視されてしまいます。
「なんでみんな私の言うこと信じてくれないの…」
「さっき私が同じこと言ったときは馬鹿にしたのに…?」
ASD風味がちょっとでもあると理不尽に感じて、思考暴走やフリーズを招くところです。
このような経験を反芻すると、生きづらさを感じ、世の中全体を憎むようになってしまいます。
一方、子供時代、疎外されず、褒められ、尊重される、優しい世界で過ごさせたとしても、
「社会が悪い」
となります。
社会が悪い、という感覚が強くなればなるほど、ネットを介したエコーチェンバー効果も手伝ってより強固なものとなります。
自分の足元のウ〇コを避けることも忘れ、社会をどうにかしろ!と言い出すまでのカウントダウンが始まります。
サピエンスの生態を理解せよ
「共有する知識が少ない集団では、何を言うか、ではなく、誰が言うか、がとても大きな意味を持つことがあるらしい」
「多くの人を巻き込むシャーマン的な能力は、教育文化に染まりきってない人にとって、時として科学的な正しさよりも価値があるっぽい」*3
人それぞれ、そのとき信じるロジックも、選択も異なっている…
人そのものも、空気も、地面も、揺らいでいる…
自分含めて、大きなゆらぎの中でたゆとう木の葉…
こういった情報を、頭の片隅に常駐させておけば、集団生活における認知不協和が大幅に軽減されます。*4
認知不協和が減ると、脳の余力が目に見えて緩和されます。根っこがASDの子なら、ADHDぽさが激減します。
生まれつきのクセは多少残りますが、後天的なひどい偏りは、後天的に調整可能なのです。
この支援ができるのは、
・理解力はあるが幼さがあり、理解者に依存
・いじめられたり排除されたりなど幼児性万能感崩壊の経験がある
この条件が揃った場合です。
「え、親の言うこと聞くなら苦労しませんけど?」
「聞くは聞くけど、行動に移せるタイプじゃないんです」
はい、ですよね!だから当所があるのです。
お子さんの耳の穴も脳ミソもぱっかん開いて、ライフハックをパルスしていきながら、最終的にはお子さん自身が有効なライフハックの開発を楽しみ、幸せな大人になれるように、仕向けていきましょう。
一人で悩んでないで、おばちゃんと電話しようよ!
あ、ちなみにおばちゃんは、トークだとこんな変な人じゃないから安心して(余計怪しいか?笑)。
次、集団用語の基礎知識!同音異義語をハックせよ!
次回も質問者さん置いてきぼりですけど…お楽しみに!
同音異義語を制する者は集団生活を制す!
noudeka.com
フツーの子お断り!ご相談承ります。共に悩み、共に泣き、共に背負い、共に調べ、共に語り、共に笑いましょう!
お問い合わせはdoctorqolt@gmail.com
*1:参考記事
*2:あ、聴覚凸でないなら、あんまりいっぱい言葉を投げてもダメでしょ?と思われるかもしれないけど、納得行く言葉に触れるとどんどん聴覚が開発されていくので、いろいろ学ばせやすくなります。一方、聴覚過敏なら耳を休ませること≒脳を休ませることを意識してね!無音がいいとは限らないけど。詳しくは割愛
*3:シャーマンタイプの人は、教育や教養に反発する人たちをターゲットにして、ローカルな正しさや付加価値を作り出してあぶく銭稼ぐのうまいよね…見習いたいような、見習いたくないような…(笑。ローカルな正しさを世間一般に拡張すると怒られが発生するけどね。しれとこ村の経営コンサルしてた小山昇さん、承認欲求こじらせて訴訟魔となったはあ〇ゅ〇さん、生娘シャブ漬け戦略の伊東正明さんみたいな)。 当所は所長が医師なのもあって、エビデンスがないことを断言するとき、良心の呵責はある(笑)。でも、医学的な正しさもローカルな正しさの延長線上でしかないからどんなに論文読んでても謙虚であらねば、って所長は話してる。確かに、西洋医学的な正しさは、統計に馴染める人のための正しさなんだよね。私は統計も科学も巨人の肩だと思っているので、乗っからせていただきます。同時に、発達障害界隈やエリート界隈の子育てや教育は、統計に依存しすぎず、n=1で考えていかないと見誤ると思ってます
*4:これって般若心経とか、仏教あるあるの考え方であり、素粒子物理学、量子物理学ともつながるらしい。そーいや物理でラムダとか言ってゆらぎを計算した記憶あるよね。この世の中の仕組みに気付けば、輪廻抜けてホトケになれるってお坊さん言ってたわ