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もしかして発達グレー研究所~凸凹ハートの幸せを考えるブログ by QOLT

なじめない、生きにくい。そんな子達の青い鳥ドコー?志村!後ろ後ろ!

学校の闇は深すぎる~先生は鬱です

うつ病にも色々あります。

多忙or暇、金持ちor貧乏に関わらず、発症する鬱。
遣り甲斐を感じられていない、睡眠等生活リズム乱れ、交感神経 副交感神経といった自律神経のバランス、ホルモンのバランス、血行、免疫力の不具合や衰え……
やりがい・生き甲斐のなさや減少に、からだの衰えが合わさることをきっかけに、どーんと発症することが多いかなと思います。


「この仕事は成功する!」
「このプロジェクトでたくさんの人が喜ぶ!」
「自分が引きこもりしてると、大好きで大嫌いな親を困らせることができる」
良くも悪くも、自己効用感(自己効能感)と結果が伴っている最中に鬱になるという話はあまり聞きません。

(気付かないだけかもしれません、大プロジェクトを無理繰りやりとげてほっと肩の荷が降りたときというのも、不適応を起こすことがあります)


たとえば、それまで、自己効能感があったのに、急激に
「良かれと思ってやってるAI開発、このせいでクビになる人がいるのかな…自分もそうなるのかな…」
「喜ぶ人だけじゃないのかもなぁ…」

こんな葛藤と、気力体力遣り甲斐絶好調のピークを超えたあたりで、どーん、と落ち込むケースが多いです。


発達障害傾向のあるお子さんを育てている方も、そうでなくても、子育ての試行錯誤に疲れはて、鬱と折り合いをつけながら子育てなさってる方とても多いです。

学校の先生も
「子どものため」
と思えば思うほど葛藤に苦しむことになる仕事です。

子どものために楽しくしたら、他の先生のメンタルを逆撫でします。
子どものために厳しくしたら、親が怒鳴り込みます。
子どものために優しくしたら、親に
「もっと厳しくしてください」
となじられたり、進学先の学校での強い指導を苦に自殺したと風の便りで…などなど。


学校の先生は、利害の異なる人や組織に包囲され、常に見つめられ、心理的に縛られてしまっています。

バランスをとろうにも、ダブルバインド、トリプルバインド、マルチバインド!はっきりいって、バランスとれません。よっぽど図太くないと、無理です。
現代では、先生に許されている挙動が、少なすぎて、かえって深刻な問題につながっています。


時間的、金銭的、立場的、思想的な縛り

「学校の先生は教育のプロなのに」
と保護者の皆さんはよくおっしゃいます。
確かに教育で生計を立てているという点ではプロです。


しかし実は、お子さんが親御さんより小さくて弱い間は、励まし伸ばし教育するためのツールは、学校の先生よりも親御さんのほうが圧倒的に持ちやすいです。


教師は、他人です。
他人としてオフィシャルに許される、厳しい制限の中でしか、関われません。


一方、親御さんはどうでしょう。
パフェやケーキや釜飯。
ハグや添い寝、頭なでなで等スキンシップ。
旅行、体験、プレゼント、ゲーム。

オフィシャルな立場では決してとれない、特別な馴れ合い(愛情)も、心理的圧力をかける方法も、強力なご褒美手段も、親御さんにしか使えない手段があります。


親は、我が子のニーズを知るための試行錯誤も許されています。
我が子の情報を第三者に提供し、助言を受けることもできます。
タイミングよく、有効なメンタル助け船を提供することも、そのためにお金をバンバン突っ込むこともできます(突っ込まずに済ませたいけど…)。

親御さんは、ちょっとやそっと子の機嫌を損ねても、子どもと よりを戻すチャンスとツール(お金)を持っています。
子との関係メンテナンスが、他人である先生よりは、容易なのです。

※激しい反抗期前後は別途ご相談ください。


学校の先生にできるのは、いったい、どんなことでしょうか?

ぶっちゃけ、期待すべきじゃないです。

え、せめて言葉がけ、ぐらい期待してもいいですよね、って?

いやー、発達障害児や発達障害グレーゾーン児向けに、先生という立場から言葉がけするのって、ものすごく難しいですよ。
ことばのあやを許さない、忘れない、引きずる…、お心あたりはありませんか。


記憶力凸、バランス力凹の子相手ですと、一度言葉選びに失敗したら、再構築は困難なことも多々あるでしょう。

記憶力ガチ勢って忘れてくれないので、下手な声掛けは逆効果なんです。

上から目線の先生に対して警戒してるときに、先生が言葉選び等間違うと、お子さんはかなりの確率で最大警戒バリアを張るか最終防衛システム起動します。

荒ぶる記憶力は未加工ならば諸刃の剣で、回復力の弱さに直結しま。長期に渡り関係断絶しちゃいます。

先生が素晴らしくて憧れ対象であれば、絶大な影響があるでしょうけれど、
色恋みたいなものですから、冷めたら憎しみになることもあります。

博打です。

博打に、大事なもの賭けますか?

インストールすべきはゴミ処理

・メンタルを保護しながら適宜 自分の、成長に役立つ言葉は、受け取れる範囲で謙虚に受け取る
・処理しきれない言葉は横置き、ポイ捨てでOK

このプログラムを実装していない子はひねくれているなどと言われがちです。
先生の、良かれと思った言葉がけによって、かえって傷付いたりモヤモヤしたり絶望したりすることも。

「ひねくれてる」と自覚すれば治るかというと、今度はひねくれてる自分が許せない、とか、ひねくれてる自分を受け入れない社会が悪い、となり、さらに人間不信を深めます。


学校の先生の限界

学校の先生は群れのリーダーに過ぎず、個体との関係修復に取り組む時間も手段も限られています。
実質、一度信頼を失うと、修復チャンスないです。

「関係構築がうまくいかなかった子のことは忘れるのがセオリー」
とおっしゃるベテラン先生にお会いしたことがあります。
最初は私もビックリし許せませんでした。

しかし、そういうメンタリティでもないと続けられないのね……と思うようになりました。

※この考え方は公教育の一部流派に深く浸透しているようです。
その流派にとって最大級の贖罪は「記憶すること」です。
「今回のことは、ずっと記憶に留めておきます」「教員生活を通して、考え続けていきます」
と述べることで贖罪になる文化圏の先生がけっこういるのです。
いやほんとビックリよ~。まあでもなんだろ、忘れる力が強くないと、やってらんないんだろな。

結局、先生って、個の教育は、守備範囲外なのです。

例えるならば、先生と保護者は、ヤギ飼いの少年ペーターと、あらいぐまラスカルの飼い主ぐらい、属性が違うんです(ごめんなさいまた変なこと言ったかもしれない)。


地方都市は別としまして、首都圏は教員以外にも仕事ありますから教育に適性のある人も、他業種に流れてます。
塾はもちろん、どんな業種だって、感情的にならずに人材育成できる人を求めていますからね。


集団指導ってなんだかんだスゲーいいよなー!と思ったか、
なにがなんでも公務員!と思ったか、
デモシカ先生(先生にでもなるかぁ、先生にしかなれない、という職業選択感覚)
この3パターンがほとんどだと思った方がいいんです。

先生だから尊敬すべきとか、悪口いっちゃダメとか、前時代の伝説です。

もう通用しないですよ!


パワハラがマスコミにあれだけ叩かれているご時世に、目の前で子供相手にやっちゃうんです。ま、親として私も敢えてパワハラすることはありますけれど……。先生は、立場上、埋め合わせさえできないのです。


親は、子どもに対して、反面教師から学ぶメンタリティの育成に力を注ぐぐらいがおすすめです。
いわゆる、理解あるいい先生に当たることを期待してはいけません。
たまに尊敬できる先生に出会えたら、儲けものぐらいがちょうどいいです。


個別対応と集団指導のバランスの重要性をよく知っていて、なおかつ優秀な若者、つまり、いい先生になりそうな若者は、東京通勤圏では、公教育を仕事に選ばなくなってきてきます。
教育学部生でも、他にやりがいを得られる仕事を探しています。

学校教諭が子どものためにできることは少なすぎる、とあらかじめ見えてしまっているからです。

優秀な教員、善良な教員が、トラブルを背負い込む羽目になったり、妬まれて足を引っ張られたりして心身の健康を害しています。

こうして、東京、神奈川の教員人材は枯渇の一途を辿っています。

極論ですけど、セクハラOK、裁判NGにでもしないと、かえってまともな人材入らないですよ。まともな大人にとっては、割りに合わないもん。

現代っ子の個性

30年前の個性とは比較できないほど、多様であることが推奨されています。
全員、王子さまであり、お姫様なのです。
個を尊重するのがすごーく難しい。
そもそも情報を処理する脳の余力(例、ワーキングメモリ)が、対象人数分必要ですが、そんな頭のいい人は今や教員なんていうババ抜きゲームに参加しません。


浮きこぼれ、吹きこぼれ、落ちこぼれ、はぐれ雲、といった個の尊重が、集団の機能を上げることにつながるならば、先生にとっても、やりがいのある取り組みとなりますよ。
しかし、現実の担任の立場としては、集団の機能を落とす(全体的に緩ーくなるか、バラバラになる)リスクマネジメントを優先せざるを得ないのです。

集団に属さない1人を救おうとして、30人を迷子にさせるわけにはいかないからです。
(1人が、将来、30人分納税してくれる人に育ちそうなら、個体を優先するのもありかもしれませんがね~)

集団構成員やその親は、集団の利益が損なわれてしまうことを懸念しますので、優先順位は多数派が当然上ですよ。



子育てしていたら、お子さんひとりの相手しながら別のことをするってだけでもものすごく余計にメモリ使うって感覚、おわかりになるかたもおいでかと思いますよ。
それをクラスの何十人+授業+隣のクラスの親や子からの妬みへの配慮+同僚への配慮+管理職への配慮+教育委員会への配慮+etc...

ものすごく処理能力が高い、そうですね中学受験で言うと女子学院合格ぐらいかな~、事務処理の神でなければ無理ゲーです。


より有力な教育ツール・教育資源を持つ保護者に、うちの子を個別対応せよという難題を押し付けられ、先生たちの多くは、学習性無力感にさいなまれています。

多動は先生に向いている

時々見かける多動な先生は、あまり深く考えずに、教員になり、多動と謙虚さを活かして、集団と浮きこぼれたちをうまく誘導してくださいます。

多動、不注意、の先生も大切にしましょうね。
授業がテキトーでも、脱線ばかりでも、それも個性じゃないですか?学力は家庭で1対1のほうが伸びますし。
人の得意不得意を許容し合い、補い合う世の中を望んでいるのですよね?
個性やら多様性ってものの光と闇を知るのにもってこいですよ。

「先生、あなた全然ダメ」「担任、ハズレ」と仰りたくなる気持ちもよーくよーく、わかりますが、無い物ねだりはメンタルに良くないです。絶対。世直ししたいなら、子育て終わってからがよいかと。


先生は、残業代も出ず、何かすればどこかからクレーム、仕事を頑張るほど家族との溝は深まり、鬱病になっても休みを取らせてもらえない、悲愴なワンオペ戦士です。


続きます。

noudeka.com


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