誰だって、自由に、あるいは自堕落に過ごせる日々から、急に謎ルールに満ちた謎管理の日々に戻ることは億劫です。
それでも、多数派は、一見難なく学校にいきます。「そうは言っても、行くのがふつう」という社会通念を自分の中に育てるという凸スキル、同調圧力という名の波に乗る凸スキルがあるからです。
学校に行かないと自分がどうなるのかという想像力は凹でも、「よくわからないけどどうやらまずいことになるらしい」というように、曖昧な情報で自分を説得し納得させることも上手です。
一方で、その多数派の作る社会通念、同調圧力への耐性が強すぎて、どうしても違和感を持ち続けてしまうお子さんたちがいます。
彼らは、新学期の登校を大きな苦痛としています。
・休みが楽すぎた
・変化が苦手
面倒くさがりで(もしかすると感覚過敏があるかもしれません)、休み中、朝から晩までパジャマのままだった子にとっては、登校用の服に着替えることだけでも、身体的精神的に強いストレスです。
「何故行くべきなのか明確な答えがわからなくても、社会通念上行くものだ」という意識がない彼らは、学校に行きながらある日気付きます、あれっ何してるんだ?と。
これなに?学校って、無駄じゃない?授業って、意味、なくない?
無言でモヤモヤを蓄積し続けている子と、暴れながらモヤモヤを蓄積し続けている子たちは、納得してすっきりしたいけどできないことがあります。
それは「学校に行く意味」です。
私は、感触にもよりますが、学校は嫌な場所であると定義付けることが有効なケースが多いと思います。
嫌なことだらけ、権利侵害だらけの環境において、面白いこと役に立つことをわずかでも見つけられるようになるために、嫌なことをたくさん体験しよう、練習しよう、と説明することがあります。
嫌な場所なので行きたくない、というのは、学校へいく目的がわかっていないのです。
学校は、楽しいところです、とか押し付けるから、えー楽しくない、納得いかない、となるのです。
毎日楽しいところに行かせるなら、年間パスポート買って毎日遊園地や博物館科学館動物園に通わせるでしょ。
嫌な場所だからこそ、毎日のように行く意味があるのです。
あー、おばちゃん声を大にして言いたい!!
学校は、縛られる経験、理不尽な経験、嫌な思いをしに行くところです!
最初からそう導入された子は、いろいろあっても結果的に適応できます。