テレビをつけると、「新学期」「学校に行かなくてもいいんだよ」という言葉が飛び交っています。
その言葉で癒される人、救われる人、たくさんいますので、もちろんその働きかけ自体は意味があるのでしょう。
でも、この働きかけが作用するのは、「休んでもなんとかなるから、休んで、こうしてごらん」と言われて「へぇそうなんだ!」と信じ、「じゃあ休む!」と休める状況の人です。
一方で、このような働きかけを社会的偽善行為ととらえ、かえって孤立し絶望する人がいます。
彼らにとってみれば
「休んでもいいんだよ」という言葉は、明るいところから投下される、
暗闇から暗闇に逃げろ!
という無責任な爆弾に過ぎません。
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社会的な偽善に嫌悪感を覚えている人の場合、学校に行かないという選択肢をとれるときにはすでに孤独で絶望して心とからだのバランスを失いかけています。
「学校に行くしかないのに、行けない」も「学校に行ってはいけないのに、行くしかない」も、どちらも最中にいると絶望や憎しみ、不安しか感じられません。
自分のプライドや思い込み、親のプライドや思い込みや圧力、休んでいる間に学校での立ち位置が変わっていくことへの恐怖心、
さまざまな事情と感情がないまぜになって脳内で化学反応のようなものを起こし、正体不明のバグが起きているからです。
すべきことがわかっているのにできない状態に、その問題を認識できてしまう繊細かつ高機能な脳が陥ると、無限バグに突入します。
大人は脳の成長が止まっていることから、適応力の限界が見えやすいので、「うつ病」と診断されやすいです。
20歳未満でもうつ病や新型うつと同じ症状が出ますが、統計的に、脳が若いと適応に期待できるために、積極的にはうつと診断しないで、適応障害や自律神経失調症とみなすこともあります。
いずれにしても、これをすべき、でもできない、どうしよう、これをすべき!でもできない!どうしよう!これをすべき!!でもできない!!どうしよう!!という状態から復帰するには、
・いくつかのアプリをアンインストール
・外部情報にアクセス
・バグを見つけるための安全なプログラムを入手
・メモリを一部解放し、クリーンナップ
・安全な修正プログラムを入力する
という作業をします。
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ソーシャルスキルトレーニング、アドラー心理学、認知行動学、をつまみ食いするなど多様な方法が修正プログラムとして存在します。
光輝く道を歩き続けられる人は、人口の0.001パーセントもいないのです。
ベストや理想を求めるとほとんどの人が絶望します。
居場所……ってそんな居心地いいとこ見つからなくても、
「まし」な人間関係に、じりっじりっと寄ってみて。
野生動物みたいに……
もしかして発達グレー研究所に相談してください。