不特定多数向けのブログですので
個に合う合わない
激しく感じられると思いますが
そういう考え方もあるんだなーという価値観カードコレクションとしてお持ちください。
☆聞き出そうとすると何が起こるのか?
いったい、何が、どこが怖いのか。
知りたいですよね。
でも、本人が原因を見出だせてないときに、原因を聞き出そうとすると学校より怖いことになるかもしれませんよ。
何が起こるでしょう。
・(お子さんが自分以外の)原因に関心を傾けすぎることにつながる
・原因を言語化できず、表現に対して苦手意識を持つ
このどちらか、または両方です。
これでは、かえって問題の本質が見えなくなります。
真の問題解決から華麗に身を翻して遠退いているということです。
傾聴一辺倒は通用しない
もちろん、聞き出されることにより考えが深まり、自己分析を重ね、核心をとらえられるようになる子もいます。
ただね、それって、
「どうして学校が怖いの」と問われて、
・問題の核心に自力でダメージなくたどり着き
・親に過不足なく伝え
・納得させられる
くらいの精神年齢の高さと心の強さがある子だからなのです。
それならば、魑魅魍魎の学校集団でも、だいじょうぶ!!
何らかのガス抜き方法を自力で身に付けて切り抜けていける可能性が高いですよ!
あれ??
…てことは、傾聴で回復する子と、介入が必要な子とは、別なんじゃないでしょうか?
徹底した「聞く」スタイルの関わりが向いている子は確かにいますが、「徹底的な傾聴が向いている」という時点で、自己解決能力があるということを意味していると私は思います。
ですから、たとえ歩みは遅くても、痛みから自分で学び取るでしょう。介入しなくてもその子なりになるのです。
当研究所がご案内する手法は、思考に介入しないと、将来的にその子らしさがつぶれてしまう恐れのある子向けが主です。
自分で学ぶ力がある子に、介入すると、かえって生きる力を奪うことになりかねません。
思考への介入が必要なお子さんに対して、信頼関係を築くという目的で一時的に傾聴を利用することは有益ですが、傾聴や受容のみによって解決に向かうと思わない方がよいと思います。
受け止められてまた歪む
思考への介入が必要な子は
話を受け止めてもらうことでも歪みの強まる子です。
聞き、全力で受け止める親は、聞きながら病んでいきます。
人に愚痴るとストレスが軽減する段階と言うのは確かにありますよ。
たとえば、夫のことが嫌で嫌で顔も見るのもいや!と言う時、
さんざん愚痴った時に、
「ひどい夫だね!」と友人に一緒に腹を立ててもらってすっきりしたり、
「離婚ものだよね」「そんな旦那捨てちまえ」「○ねばいい」と言われて、溜飲を下げながら、いやさすがにそこまでじゃないわとか、
そうは言っても子煩悩だし、というかんじでバランスを取り戻したりという現象が世の中ではよくありますね。
これ、健康な心身特有の機能、揺り戻し作用(バランシング)です。
免疫機能みたい。
免疫任せのときと、治療では、必要なことは異なりますよね。
ミルクを与えれば育つ子と、保育器が必要な子とでは、
すべき対応は大きく異なります。
「ひたすらに傾聴、受容」というスタンダードな関わり方が、合わない子こそ
、洗脳や介入といった、特別な対応が必要なのです。
超低体重出生の新生児の口こじ開けて哺乳瓶を突っ込むようなことしないですよね?
保育器で、経管栄養入れたり酸素吸わせたりしますよね?
それは過保護と言いますか?
「NICUは子どもの自ら育つ力を奪っている」とか言わないでしょ?
必要なのは丈夫な心の健康維持?それとも心の保育器?
一般的には、健康維持には、適度な運動が効果的ですね、でも
生きるか死ぬかの時に「10000歩、歩きましょう、ヨガと筋トレしましょう」とか言いませんよね?
どれぐらい健康なら、10000歩歩いていいのか、って?
それはわかりません。一人一人、そして状況により異なるからです。て
申し上げたいのは、ミルクをあげればいい、一万歩歩けばいいってものではないのと同様に、
傾聴すればいいってものでもないということです。
傾聴を否定するのではありませんよ、効果的に利用できることも多いです、しかし、恐らく、深刻なケースにとってはむしろ毒になり得るのでは、という仮説でした。
続きます。
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カウンセリングの向き不向きの話
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