利用したつもりで
私、
無自覚に
カルトの末端だった。
男から権利を剥奪し
男を不幸にするためなら
どんなに
女子供が不幸になっても構わない
そんな
歪んだフェミニズムのカルト。
フェミカルトの末端に
居たくて居たわけじゃない。
利用したかっただけ。
女同士で
身を寄せ合い、
フェミニストたちを取り込めば、
手当や休みが取りやすいし、
何かと援護射撃が得られるから
軽い気持ちで
乗っかっただけだったの。
フェミカルトは
男が多い職場では有効だった。
学歴の割に仕事できない私でも
なんだかんだやって来られたのは
このカルトだったから。
その代わり、
恋人、夫婦、家族の絆を優先したと
みなされたら最後、
裏切り者の抜け忍扱い。
子供の中学受験のために
少しでも楽な部署に
移りたいなんて
禁句中の禁句。
ハリボテの居場所は、
いとも簡単に
針のむしろになる。
利用してるつもりで、
利用されていたんだよね。
ギブアンドテイクならいいけれど、
フェミカルトにとっては私は、
替えのきく
ネジ、歯車のひとつにすぎないのは
アンバランスだね。
もしおの親は
パパと私しかいない。
何年か前、
抜けたいな…
もしおにもっと手をかけないと
まずいことになるんじゃないかな…
中学受験の話避けてるけど
このままでいいのかな…
駅前のSAPIX、定員オーバーで
門前払いになっちゃうんじゃないの…
とチラッと思った記憶はある。
退職リスクを重くとって、
その選択肢は選ばなかった。
もう一度選ぶとしたら?
たぶん、なんだかんだ言って同じ。
一度全力で依存したカルトから
抜けられるほど、
意志の強い人間じゃない。
新卒からやり直しても
ずるずると
仕事ごっこと母親ごっこを
するだろう。
変えられないものにこだわるのは
おトクじゃない。
ひとしきり後悔して
親と環境を恨んだら、
そこでいったん切り上げよう。
ぐるぐる思考は、
思考回路がオーバーヒートして
早くボケる。
改善策を試行錯誤できるかな。
試行錯誤の99%は失敗でできている、
って何かのブログで読んだ。
悔むは辛いが、役に立つはず。
承認欲求の向こう側
歴代の自分へのごほうびは
同志の証だった。
男子には価値のわからない
ヴァンクリのアルハンブラや
トカゲに夢中になった。
悪運祓うと言われて、
お高い壷や印鑑、
大量の教祖の著書を買う、
某新興宗教信者を嗤えないね。
だって悪運祓う!のかわりに
「マストバイ!」
「可愛いより
かっこいいと言われたい」
なんて煽られて
似合いもしない高級品に
夢うつつで大枚はたいたんだから。
マストバイ煽りのおかげで
稼がなくちゃ、って思えたし
間接的にだけど
働き甲斐感じられるんだから
物欲、承認欲は
私みたいな
モチベーション低い
ポンコツ社会人にとって大切な欲。
けど、今は昔。
欲求全般、弱ってね。
物欲も金欲も食欲も承認欲求も
どんどん薄くなってるの。
大好きだったカルビ肉も、
ちょっとしか食べられない。
代わりに
私の分まで
幸せそうにほおぼるもしおを
眺めるのが好きだ。
体中、いや、
DNAレベルで幸せを感じる。
小さき者に食べさせ、
対価として
笑顔を受け取る幸福感たるや。
生殖を終えた私が
自分の立場より
遺伝子の方舟の行き先が
気になりだすのは
生物的な欲求、本能なのかもね。
マズローの5大欲求の
頂点は自己実現の欲求だけど、
私の場合は
進化心理学的なケンクリックの
養育欲求…
「育てたい」という本能に
行き着く気がする。
私は本能優位です
もしおの人生はもしおの人生。
子供は自由に育てるべき。
そう思考して
自分の心と立場を守ろうとしてきた。
思考と本能はいつも勢力争いして、
言動に影響を及ぼす。
もしおを突き放すようになったのが、
幸せに生きる我が子が見たい、
かわいい孫が見たい、
っていう素朴な本能の失望を
慰撫しようという
思考の結果だったとしたら。
親の思う幸せを押し付けるな
子供には子供の幸せがある
理性をふりかざして、人は言う。
確かに、私も、若いときは
知識欲、食欲、性欲、睡眠欲、
所属欲、物欲、承認欲
色んな欲があって
それを満たせば幸せになれたから
欲を抑え込んで支配する母は
不快でしかなかった。
今私は年を取り、
人と人との関わりや
自分にしかできない役割を
果たした経験だけが
心を満たしてくれると感じる。
老いてなお母は高圧的で
自分勝手でろくでもないが、
母を基準に育ったおかげで、
世の中は
母よりだいぶマシな人ばかりだ。
母のヒステリーと身勝手さに
長期間曝露されたから、
ああはなるまいと
ギリギリのところで自制がきくし、
俺様タイプは
どんなにイケメンでも選ばなかった。
母は、母の役割を果たした。
そして私は
母の娘という
代役のいない役割を果たし、
名残惜しさや喪失感などまるでなく
巣立つことができた。
お母さんはクソだけど、
なんだかんだ、
いい仕事、したよね、
なんだかんだ、ね。
かけがえのない役割
今、私にしかできない役割は、
もしおの母という役割だ。
かけがえのない役割が
せっかくあるのに
なぜ投げ出してしまったの。
未来のもしおが笑ってくれるなら
私は悪にでもなる、
ってほど人間できてないし、
見果てぬ夢は向いてない。
ささやかでいい。
ただ我が子と話したい。
本格的な思春期の前に、
私が産んだ生命体と
交流したい。
許されるなら、
泣いたり笑ったり
葛藤したりフラレたり
なんだかんだしながら
なんだかんだ
子供からおじさんになっていく
もしおの、最初の友達になりたい。
続きます。
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読んで下さりありがとうございました!
もしおママに共感してくださる方々のメール何通も届いています、世の中、隠れもしおママけっこういる♥どうもありがとうございます☺お返事遅れていてごめんなさいね、書ききれなくても読ませていただいて励まされてます!
第一志望に合格した親子だけ、がんばった親子だけしか幸せになれない中学受験は、中学受験の使い方として私はあまり好きではありません。
「なんだかんだ、よかった!」もしかして発達グレー研究所は、凸凹親子の持続可能な幸せを本気で願って活動しています♥
成績凸凹、発達凸凹、発達障害、アスペルガー、ギフテッド、2e……
凸凹ファミリーの持続可能な幸せを実現するブログ&コンサルです🍀
これまでのお話もぜひ♥
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